埼玉県・・・桶川市

川田谷陣屋・・・「関ヶ原の戦い」や「大坂の陣」で軍功を挙げた牧野氏(大胡藩主とは別人)の居館跡

  陣屋脇にあったとされる牧野家ゆかりの

         牧野薬師堂はIC の東下側に

 川田谷陣屋は、天正18年(1590年)に徳川家康の関東移封に従って牧野讃岐守康成(通称は半右衛門)が、荒川左岸の台地上で現在の埼玉県桶川市大字川田谷字大平(天沼)に構えた武士の居館。別名を牧野陣屋や牧野本陣と呼ばれている。遺構はほとんど失われており、陣屋の有った場所は江戸後期に建立された牧野薬師堂の隣接地で、昔の普門寺跡を含めた柳川氏宅あたりの周辺までと伝えられる。

  薬師堂内に鎮座する薬師様

 登城・陣屋訪問される方は、樹齢180年と言われる普門寺のしだれ桜を目標に尋ねたらと思います。前日の花散らしの降雨と風で訪問日(4月10日)は葉桜でした。交通アクセスはJR高崎線桶川駅下車して3・9km。

 もう一つの目標は、圏央道の桶川・北本ICのすぐ側ですので、ICを目指してもいいかと思います。

  圏央道桶川北本IC付近 

 

    陣屋と合戦

 天正18年(1590年)徳川家康の関東入部に従って荒川左岸の台地にあった足立郡石戸(現在の北本市)周辺を領有して牧野康成(大胡藩主とは別人)は5000石を賜り、川田谷(現在の桶川市)に陣屋を構えた。

 川田谷は、荒川の支流である江川などが複雑に入り組んだ支谷が有った場所であり、陣屋は支谷が形ち造った「常溜り」と呼ばれる湿地を含む台地上に造られている。『桶川市史』の館城跡の項には、「湿地は、沼状を呈しており、本陣をのせる台地の北側に広がり、その一部は南に入り組んでいる」と記載する。

  普門寺のしだれ桜の碑

  樹齢180年の普門寺のしだれ桜・前日の風と雨で葉桜に

  隣のソメイヨシノは満開でした

 遺構は明確なものは見られないが、本陣跡の北側及び東は湿地で自然の要害となっている。しかも北側の湿地に至る斜面の落ち際の屋敷林の中に堀状の浅い遺構が認められるとあるが、約40年前の現地調査でのことであり、現状は如何であろうか。

本陣とされる付近の南側には、東西に走る道路があるが、ここは土塁と堀が有ったと言われている。

 川田谷村は、東西14町、南北1里余の村域を有しており、村の穀物の取高は1200石を越える比較的大きな村で(元禄郷帳)であり、陣屋が置かれたのは村の北西部の天沼であったそうです。

 一方、『埼玉県史』には、足立郡は旗本6人と知行対象の村が13か村有って、天正18年9月7日、牧野康成が足立郡石戸郷の馬室(現在の鴻巣市)、日出谷、川田谷、畔吉、小敷谷(いずれも上尾市)、石戸(北本市)などの10か村5000石の知行書立を伊奈忠次から与えられていると記述している。

 『伊奈忠次文書集成 和泉清司編』(文献出版)

  牧野康成の知行地と大宮台地の谷戸、

      黒囲い丸が陣屋位置(埼玉県史通史編三より)

 また、桶川市川田谷あたりは、昔は「河田郷」と言われていたようで、応永4年(1397)7月20日の足利氏滿寄進状に鎌倉の円覚寺塔頭黄梅院に寄進されている。正長元年(1428)に鎌倉府は河田郷領家職(事務を取るもの)に対する大井五郎左衛門尉の押領を停止せしめているなど領有統治上にも記述が見られる。

 天正18年の牧野讃岐守が入府当時は、日出谷村と併せて川田谷村の上川田谷、下川田谷上・下を治めており、慶安3年(1650)に亡くなった後は上川田谷を牧野長門守、下川田谷上を牧野内匠頭永成、下川田谷下を牧野八大夫尹成がそれぞれ家督を引き継いでいる。

 ちなみに康成(半右衛門)は、『常山紀談』に天正7年9月の「東照宮(徳川家康)、勝頼と大井川にて御対陣の事」の項で、牧野半右衛門に家康が「先陣をしづめよ」と仰せられしかば、牧野馳せ行きて「何事に騒ぎ候や。御旗本も・・・」と記載されている。また、徳川家康の伊賀越えにも随行していた(『石川忠総の留書』=大久保忠隣の次男で大垣、日田、佐倉、膳所の各藩主を務めている)とされる武将のようです。

 寛永3年(1626)に牧野信成(康成の3男が慶長4年=1599=に家督を継ぐ)が「関ヶ原の戦い」や「大坂の陣 夏・冬」の軍功から2000石加増され留守居役となる。寛永10年(1633)には4000石加増され11,000石で諸侯に列して立藩した譜代極小藩だ。その後、天保元年(1644)に牧野信成は17,000石で下総関宿に加増移封したため石戸藩は廃藩(旧石戸藩領5000石は次男の牧野親成が統治)となる。その慶安3年(1650)の時に前述した牧野信成の庶子の八太夫尹成(2000石)、太郎左衛門永成(1500石)、兵部成房(直成。1500石)の3人に分け与えられ3家の末裔が幕末まで領主を務めた。

 参考資料:『埼玉県史通史編3』(埼玉県)、『桶川市史・桶川の館城跡』(桶川市)、『藩史総覧』、『常山紀談』(新人物往来社)、『伊奈忠次文書集成 和泉清司編』(文献出版)、『日本城郭大系』、『日本古代中世人名辞典』、『戦国武将合戦事典』、『戦争の日本史』(吉川弘文館)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)、『歴史人・No122名字と家紋の真実』(ABCアーク)、フリー百科事典『ウィキペディア』など。