茨城県・・・常総市

法蔵寺御朱印と「塁の墓」、羽生館跡・・・塁の物語は、

  鶴屋南北の怪談物語として有名 ○わが家のお花○

 

 

 法蔵寺は、塁(かさね)の墓、そして羽生館跡で茨城県常総市羽生町724の地に文禄元年(1592)12月15日、西譽哲山上人(さいよてつざんしょうにん)が開基した浄土宗の寺だ。戦国時代には、この辺りには羽生氏の城があったと伝わる場所で、羽生氏が滅亡後に城は廃城となりその地に法蔵寺が創建されたとされる。城館跡好きには「羽生館跡」として知られている。

 全国的には鶴屋南北の『色彩間刈豆』や、三遊亭圓朝の「真景累ケ淵」などで広く知られる「累=かさね=の墓所」のある寺として知られる。今回の訪問は、法蔵寺の御朱印をいただきに行ったのですが、入り口に「塁一族の墓所」があり、ここが一族の死霊を祐天上人が念仏の法力で解脱したという実話の寺と知りました。

 一方で羽生館跡については、霞ヶ浦沿いの低い台地上に築かれたとされており、法蔵寺を中心に館は存在していたようですが、残念ながらご住職に伺った限りでは、目に見えて確認できる遺構はないそうです。交通アクセスは、関東鉄道常総線の北水海道駅下車で2・2㎞。

 

   館と羽生氏

 羽生館は、寺の由来掲示板では「戦国時代に、このあたりに羽生一族の城があったが、羽生氏滅亡後、この地に堂宇が営まれたと伝えている」と記してあった。寺の正式名称は羽生山住生院法蔵寺と称しており、名称に『羽生』の名が刻まれている。

 旧「水海道市史」には、羽生村は戦国期に土豪の羽生氏が拠ったところで、戦国末期には横曽根にその拠点を移したと思われると記している。

 寺への参道左側には徳川幕府の旗本高家・京極家の墓所もありました。

 一方、塁の物語は、江戸時代の戯作者の鶴屋南北が著した怪談物語として全国的に知られており、現在も歌舞伎、清元に語りつがれています。法蔵寺には、累一族の墓があり、また累の木像をはじめ、祐天上人が用いた怨霊解脱の数珠などが保存されています。

   累(かさね)一族のお墓

 寺の山門から見て右手に塁の墓所があり、塁、菊、助の墓が祀られている。

 参考資料:「法蔵寺(累の墓)説明板」(常総市観光協会、同教育委員会)、『日本城郭大系』、『日本古代中世人名辞典』、『戦国武将合戦事典』、『戦争の日本史』(吉川弘文館)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)、『歴史人・No122名字と家紋の真実』(ABCアーク)、フリー百科事典『ウィキペディア』など。

 

○わが家のお花

  夏坊主・キバナ沈丁花