滋賀県・・・彦根市

彦根城・・・国宝天守が美しく見応えのある城、迫力の登り石垣や大名庭園も

  いろは松に沿った登城道から二の丸佐和口多聞櫓へ

  佐和口から中堀を経て多聞櫓や天守を臨む

  天守の右手の石垣は着見櫓跡

 彦根城は、慶長9年から20年の歳月をかけて井伊氏が現在の滋賀県彦根市金亀町に築かれた平山城で金亀城とも言われる。天下分け目の「関ヶ原の戦い」で勝利した徳川家康が、論功行賞として徳川譜代の上野高崎城主・井伊直政に石田三成の佐和山城と旧領地(三成は19万4000石)を与えられて18万石で入封した。

  外堀

  佐和口の多聞櫓

  南側の内堀

  鐘の丸に向かって登っている登り石垣

 慶長6年(1601)に居城を佐和山から磯山に移すように家康より命じられた。翌7年2月に直政が死去して嫡男の直次が家督を継いで8年に城地選定で彦根山と決定し、9年(1604)7月に築城開始した。

 幕府の命による天下普請で、7カ国12(15説も)大名の助役を得て着手して、慶長12年に外観三重内部3階の天守(大津城より移築、一部部材利用説もある)が完成するも元和8年(1622)までの約20年の歳月を要して城は完成した。

  天守と付櫓(右側)

 城は5つの国宝天守の一つで、一重が入母屋の屋根に切妻破風と千鳥破風を並べ、二重は腰屋根を廻し軒唐破風と入母屋の破風を付けて壁に花頭窓が見られる。三重は入母屋の屋根に軒唐破風で破風板は黒漆を塗って錺(かざり)金具が打たれている。

 遠くから見ても見栄えのする、どっしりとした天守だ。付櫓から多聞櫓へと流れる配置や、内堀からの登り石垣(切岸など城の斜面を縦方向に走る石塁で、敵に攻められた時に横方向の移動を封じることを目的に築く。現存では松山、洲本、米子の3城のみ)も貴重な遺構だ。

  近世城郭で唯一残る厩屋・重文

  元禄期の馬屋内部・馬立場と馬繋場・馬のオブジェで再現

 12代藩主の井伊直亮が弘化元年(1844)に鋳造して設置した時報鐘

(当初は南側の鐘の丸に置かれていたが、城下の北の隅が聞こえなかっ

 たために現在地の天守西側に移動)

  天守脇に飾られていた井伊直政の赤備えの兜と甲冑複製

  城内に展示されていた彦根城古写真

 遺構は現存天守をはじめ、櫓,門,石垣,土塁,郭,堀,井戸などで、城への交通アクセスは東海道本線彦根駅下車して徒歩約15分。

 参考資料:「彦根市HP」(観光文化戦略部 文化財課)、「国宝彦根城天守パンフレット」(彦根城運営管理センター)、『日本城郭大系』、『日本古代中世人名辞典』、『戦国武将合戦事典』、『戦争の日本史』(吉川弘文館)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)、『歴史人・No122名字と家紋の真実』(ABCアーク)、フリー百科事典『ウィキペディア』など。