神奈川県・・・真鶴町

平安末期の荒井実継の居館の「荒井城址」と福泉寺の「首大仏」

   土塁跡と竹林

    黒く囲った場所中心に城域か

 荒井城は、平安末期に荒井実継(いえつな)の居館として真鶴半島の付け根の丘(平山)の上に築かれた丘城で、現在の神奈川県足柄下郡真鶴町真鶴1789にある荒井城址公園を中心にあったと言われている。

城址公園は、春にはしだれ桜が咲き誇り、3㍍にも達するシャクナゲも見られ、町民の憩いの場となっている。交通アクセスは、JR真鶴駅下車して徒歩約10分。遺構は城館を囲む土塁・切岸らしき跡が見られる。

 この城は、荒井氏の後は土肥氏が治めて、戦国期に入り小田原北条氏が支配下に置いた。北条氏は狼煙台・砦的な機能として活用していたとする説も聞かれる。遺構は空掘が確認される。

   城壁と思われる土塁・切岸

    城内の残る石灯籠

   城と合戦

荒井城は自然の地形を活用し、周囲約2㎞の谷戸(やつ=谷・低湿地)を上手に取り込んだ構造となっている。県西地方では珍しい城作りといわれており、付近には城口や城の本など関連する地名が今でも残っている。

一説には居館は真鶴港付近で、荒井城は城というより詰城か砦機能を果たしていた可能性も指摘されている。山頂一帯の釈迦堂遺跡は、縄文式土器や石器類の出土で知られている。

相模の武士団に所属した荒井実継(刑部家継)は、永保3年(1083)の後三年の役において、源義家に従って活躍しており、荒井氏の後は中村党の土肥氏の支配下に入っていたと考えられる。

 

○湯河原の「不動滝」と「首大仏」を訪ねて

   首大仏

 湯河原五滝(白露、清水、五段、だるま、不動)の一つである「不動滝」です。名前の由来は、滝壺のほとりに不動明王を祀っていることに由来。滝の高さは約15メートルです。

   不動の滝

 また、滝つぼのまわりの岩盤の中から採れた石を「湯河原沸石」というそうです。石の中に白い結晶がまだらに入っており、町指定天然記念物となっています。

 福泉寺(茅葺きの本堂)は、熱海市泉191−1にある寺で、約300年前に造られた陶製の大仏が安置されている。大仏は肩から上だけの珍しい陶製の釈迦像で、尾張名古屋藩主の徳川光友(3代藩主)が亡き母を弔うために造ったと言われている。像の高さは2・5㍍で、胸から下の姿の行方は現在も謎に包まれているそうです。元々は名古屋城内に安置されていたが戦後、福泉寺に奉納されたそうです。

   茅葺き屋根の福泉寺本堂

 首大仏は、光友の父親の尾張藩2代目の徳川義直が、鷹狩りに出られた帰路に見初めた娘を御殿奉公させ、娘が義直との間に光友を身籠った。しかし、月満ちた時に自ら腹を切って光友を誕生させた。後に、光友は自分のために絶命した母の菩薩供養のために瀬戸で陶製の大仏を造り、名古屋城内に安置し、時代を経て戦後に福泉寺に移された際に肩から上だけの首大仏となった。

 参考資料:「真鶴町観光協会HP」、『相模武士団』、『日本古代中世人名辞典』、『戦国武将合戦事典』、『戦争の日本史』(吉川弘文館)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)、『歴史人・No122名字と家紋の真実』(ABCアーク)、フリー百科事典『ウィキペディア』など。