城館談義[7月26日]北野の戦いは、畠山義就達と山名政豊が戦い、山名が勝利する

 

 文明6年(1474)7月26日の山城の「北野の戦い」は、畠山義就(よしなり)、大内正弘、土岐成頼(しげより)と山名政豊(まさとよ)が戦い、山名が勝利する。この戦いは細川氏率いる東軍と、山名氏率いる西軍の二つに割れ室町幕府の主導権をめぐる争いである応仁の乱(応仁元年・1467)から文明9年・1477)の中での戦いの一つだった。

   

  畠山氏の家紋      山名氏の家紋

 西軍の山名と東軍の細川の間で和睦が成立したが、この和睦に納得のいかない畠山義就、大内正弘、土岐成頼達西軍の武将たちは7月26日に、現在の京都府京都市上京区北野付近で山名政豊と戦って敗れた。その後も小競り合いはあったと言われるが文明9年に応仁の乱は収束(11月11日西軍解体)した。ただし応仁の乱の要因となった畠山氏の家督争い(畠山義就対畠山政長)はその後も続いた。

 畠山氏の家督争いは、義就(父親は畠山持国)と政長(父親は畠山持富)の従兄弟の間で互いに家督を争った。両者の父親は兄弟でした。

 参考資料:『東国の戦国合戦』、『機内・近国の戦国合戦』(吉川弘文館)、『日本古代中世人名辞典』、『戦国武将合戦事典』、『戦争の日本史』(吉川弘文館)、『日本合戦全集』(秋田書店)、『日本城郭大系』、『戦国合戦史事典』(新紀元社)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)、フリー百科事典『ウィキペディア』など。