静岡県・・・伊東市

  伊東祐継の子・宇佐美祐茂の居城跡・・・宇佐美城 

 

 宇佐美城は、JR伊東線宇佐美駅から徒歩15分の伊東市宇佐美に築かれたお城であり、戦国時代に越後の上杉氏の重臣だった宇佐美氏の故郷と言われております。場所的には、伊東市最北端で相模灘に突き出している大崎(留田=とまだ・の城山)に築かれた山城だ。標高は157・1㍍で、常夜燈が置いてある場所からで比高は20㍍ほどで、登城は急登部分もなく容易だった。郭跡や土塁は多分そうだろうといった類いの遺構らしきものが見られたので、取り敢えず写真に収めてきました。現在は更地であるが、大学の寮があり、その寮も取り壊され何もありませんでした。

宇佐美祐茂塁城趾の碑

 宇佐美氏の始まりは、伊豆の国で勢力を誇っていた工藤氏の一族で、伊東祐継の子である宇佐美三郎祐茂(ひろしげ=助茂)が宇佐美の地に居館を構えて宇佐美姓を称した。祐茂(ひろしげ)は源頼朝の挙兵に参陣して山木兼隆を討ち果たすなど手柄を立てて、頼朝の御家人として重用された。奥州征伐や頼朝の上洛にも従っている。

常夜燈

左側の虎口から主郭への入口土塁跡

 『吾妻鏡』にも、山木襲撃の日 時を卜定すの項(治承4年8月6日)で「工藤介茂光〜宇佐美三郎助茂〜加藤次郎景廉以下〜合戦の間の事を議せしめたまふ。」とあり、また、建久4年8月6日の項では「宇佐美三郎祐茂、伊豆國より参上す」と記載されて数えた人に言わせると33回も登場する活躍の跡がうかがえる。

主郭跡

 越後で活躍した宇佐美氏は、南北朝時代に越後守護となった上杉氏に従った一族と言われている。
古木と石積み

 小田原北条氏時代には、どうやら相模灘に突き出した場所柄から番城として活用された可能性があるが、いずれにせよ北条氏の滅亡後は廃墟となったようだ。なお、今回は伊東市内にある鎌田城については、標高318㍍の山城とあって登城には1時間以上かかるため回避しました。

参考資料:『日本城郭体系』、『吾妻鏡』など。