過去数回にわたり | いつ死のうどうやって死のう

いつ死のうどうやって死のう

毎日死にたい
明日も死にたい


特定の人間と一生一緒にいるという選択から逃げてきたけど(自覚ある限り3回)
未だに人生をどうコントロールしたらいいかわからない
ただ今までの判断に一切の迷いも後悔もなく 今でも間違ってなかったと確信していて
あのときの自分より今の自分のほうが好きだと確実に言える


カレー食べてるとき 結婚観の話になぜかなり
「母には結婚しないし子供も作らないって20代のころから言ってある」
「結婚したくない 幸せな家庭像が私の中にはないから作れない こんな親では子供が可哀想だ」
「こんなしんどい世界に大事な大事な自分の子供を引きずりこむ位なら、親に捨てられた無実な子供たちを養子として引き取って私の人生を賭けて精一杯幸せにしてあげたい」
的なことをなんとなく言ったら(ほんとうになんとなくサラリと口から出た)
このひとってこんな顔するんかって ほんとうにびっくりするくらい
なんでこの話にそんな顔になるのか分からないくらい
そんな大胆発言したか?って自分を疑うくらい シュンとして
それを見たときなんか目に見えない臓器が握りつぶされたような

心が粘土になったような気持ちになった


過去のブログみてたら20のころからこの意識が変わってないようで
この10年一体なにを学んできたんだ?
学んできた上で何も変わらなかったのか?と
自分の学習能力の低さに嫌気が差すんだけど 本当に

ただ
「近年一つ加わったスキルとして家族はほしいって装備が身に付いたっぽい」って話したら
すっと腑に落ちたみたいな顔して
私が食べきれるか不安だったビリヤニをもぐもぐと無言で全部食べはじめた
これが私に対するやさしさなのか、普通に腹が減ってたのか分からないんだけど
優しさだったらいいなと思いながら見てた


むかしこれに似たシチュエーションで
人からめちゃくちゃ怒られたことがあって
その時は「自分が死んだときだれを葬式に呼ぶか」って話だったんだけど

わたしは誰も呼ばない
みんな忙しいし
わざわざ来てもらうほどのものでもない
みんなそこまで悲しまないと思う

って答えたら
「私(友達)や◯◯たちは悲しまないと思うの?!」
ってめちゃくちゃ怒られて
「悲しまないと思う」
って普通に答えたら唖然とされたのを覚えてる

私にはなにか決定的に足りないものがあるっていうのは前々からわかっていて
わかってるけど感覚が全然つかめない
自分が誰かから大切にされることなんてありえない、っていう考えを取っ払うことができなくて苦しい
私を大切だという人は全員嘘つきだと思ってしまう



父親が去る数日前
「◯◯(わたし)が結婚しないのは俺のせいだ。謝りたい。取り返しのつかないことをした。」
と周りに泣きながら訴えてたらしく
母は
「そのおかげで誰よりも自立した強い子になりましたよ」
って答えていたようで

周りからも「そうですよ立派ですよあの子は」

「お父さんによく似てます、さすがです」

とかなんとかで話に花が咲いたようで


ああ私の血反吐を吐くようなあの体験は
そいつらの美談の一部になっておわったわ、全員死ね、と感じた

お前のことなんてどうでもいいんだよ 生きてても死んでても関係ねーんだよ
私の人生に勝手に重要人物かのように登場してこないでほしい
だなんて言った暁には
「最後ぐらい許したれや」の流れになっていくのが目に見えていたので
ぐっとこらえたのを覚えてる

たぶんこういうとこに
この問題の解決策があるような気がするけど
「自分は誰からも大切にされない」っていうのは
一度気づいてしまったらなかなか変えるのは難しい

トラブルのもとになるので変えたいし

うわっつらの「君が大切だ」に対してうわっつらの「ありがとうとても嬉しいよ」で取り繕うスキルは身につけたものの
根本から意識を真逆に変えることはむずかしくてたまーに損だなあって感じたりする