ヘマな時代 | しーのの「立ち位置あってますか?」

しーのの「立ち位置あってますか?」

 生きていればいろいろあるよね。いや、ありすぎかも…。ひょんなことから自分の立ち位置揺らいでしまいました。さぁどうしよ。

私は格闘技を したことがないから よくわからないけど

柔道や剣道・空手など 一瞬の隙で勝敗が決まるスポーツは

『間合』を大切にしますよね。


間合・・・つまり相手との距離なんですが その空間の意味は深くって

体格や気力・構え・癖など 様々な要素が絡み合って そこに一つの間が生まれるわけで この生まれた自分の間合いを保ちつつ 相手の間合いを崩すことが勝負の上で大事になってくるわけですよね。





                                  ( ̄  ̄)
                               え? のっけから何がいいたいかって?





コレ

今日行ったテレビ局のトイレのドアに貼ってあったヤツ・・・。 

ちょうど 便座に座るとA4サイズのコレが

1メートルもない距離の目の前に ド~ンと貼ってあるんです・・・(-""-;)

すっごい圧迫感。



・・・わかりますよ。  ( ̄  ̄)

きっと 用を足される時にスマホとかが パンツのポケットから落下しないように 

補充用のトイレットペーパーの棚に置いたものの

忘れて行ってしまう人が 多いからなんでしょうね。



でも・・・

トイレの空間はパーソナルスペースで 息を抜きたい場所じゃないですか。

だからもう少し

例えば用を足し終わった後 振り返って水を流すのですから

その手元にコレがあってもいいわけです。

百歩譲って 立ち上がった時の高さでも いいとしましょう。

なにも 用を足す間中 ずっと対面しなくても・・・ねぇ。





よく居酒屋のトイレや公衆トイレなどに 

広告がいっぱい貼ってある所がありますけど

そういうのも

『トイレをタダで貸してあげているんだから宣伝させてよ(*^^)>”』

って言われているみたいで

こちらのパーソナルスペースにドカドカくる感じが どうも好きじゃないんです。






                         わたくし 日本って 

                   『間』を大切にしている国だと思ってました。 ( ̄  ̄)






能や狂言での『間』

禅寺・京都龍安寺の「枯山水」の方丈石庭

短歌の 五・七・五・七・七といったリズムの『間』





何もない空間に意味があるんです。 





それは見えざるものの中にそのものを見 聴こえざるものの中から そのものを聴くといった

日本人特有の感覚から培われてきた文化そのものなんだと思うのですけど・・・




最近 こういう何もない空間が 日常からドンドン減ってきているような気がして

しかたないんです。

いやいや

何もない空間どころか 少しでも空間があると

無駄を省くように 他の何かで埋めているような気すらします。




たとえば朝の情報番組。

その画面などは テロップや吹きだしが常に表示され

画面の隅には動くマスコットみたいなものがいるし

アナウンサーがニュースを伝える上部には ツィートや情報が流れて

やれ 『じゃんけん』やら 『4色から1色選べ』やら 

めまぐるしく画面は切り替わって とにかく忙しい。   

内容自体も 悲惨なニュースのあとにすぐ

アイドルのアルバムリリースの情報がはじまったりして・・・。   


                                     ε=(。ーдー。)






ちなみに

「あいつ またヘマしてる」というセリフがありますけど このときのヘマ。
 
この文字は 江戸言葉で『ヘタな間』からきているという説があるとか。

だとしたら

この時代を 粋でイナセな江戸の人は『ヘマな時代』とみるんでしょうね。

「こいつぁ~野暮だねぇ~。 ヘマな時代に なっちまったもんだね~。」って  笑





それだけ 『間』って 大事なんですよ。  きっと。

  






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