水本爽涼 歳時記 -5ページ目

よくある・ユーモア短編集 -85- ウポリタン  <再掲>

 ナポリタンはスパゲティ料理の定番として、よく知られている。生粋(きっすい)の関西人である靴底(くつぞこ)は、別にスパゲティやのうて、ウドンでも、ええんやないか? …という素朴な疑問を抱いていた。その靴底が考案、工夫、吟味した挙句(あげく)、店へ出したのが[ウポリタン]である。カレー、しょうゆ、みそ煮込みなど、いろいろとウドンも馴染(なじ)むからこそ! のアイデアだった。靴底は料理人であるにもかかわらず、アイデアに長(た)けた発明家でもあった。靴底のアイデアは多岐に渡り、いつしか彼は最初のアイデアとして命名した料理名に因(ちな)み、ウポリタンと影(かげ)で人々に呼ばれ称されるようになった。そして後日、靴底は21世紀の発明王として世界で知らない者がない著名な人物となるのだが、残念なことに現在では未(いま)だその名を知る者は数少ない。
 ここで、靴底の実績である混合アイデアの幾つかを紹介してみよう。雷(かみなり)の電力化、悪性細胞の菌遺伝子操作ワクチンによる治癒化、人口重力1Gの生成…など、科学、医学、物理学と枚挙(まいきょ)に暇(いとま)がない。
 靴底のように実力ある者が、悲しいかな、世に出られないケースは、確かに世界で、よくある。
 
                   完

疲れるユーモア短編集 (53)いいこと

 疲れるという言葉は、どこか嫌(いや)ぁ~~な感じを人に与えるが、なにも疲れて悪いとは限らない。疲れることで、空腹にひとっ風呂(ぷろ)浴びたあとの美味(うま)い喉(のど)越しのビールと料理が味わえる。^^ 疲れたあとにはそんないいことが待っているのである。お彼岸でお墓参りをされる季節になったが、人の世にはそんな妙味のあるいいことがある訳である。^^ 努力しない人には妙味のあるいいことはありません。^^
 お彼岸で賑(にぎ)わう、とあるお墓である。柏葉(かしわば)は残業続きの疲れた身体を引きずり、墓参に来ていた。
「おやっ!? 桜餅さんのご親戚の方で?」
 お隣(となり)の墓で花を手向(たむ)ける見かけない人を訝(いぶか)しげに窺(うかが)いながら、柏葉は思わず訊(たず)ねた。というのも、桜餅の通り向かいの家が柏葉の家で、当然ながら、両家の間にはご近所付き合いがあったからである。
「いえ、そういう訳では…」
「すると、お知り合いの方で?」
「いえいえ、そういう訳でも…」
「…というとっ?」
「ええまあ…。天気もよろしいし、することもなかったもんで、知らない方のお墓参りもいいかな…と。なにか、いいことがありそうな気がしたもんで、つい…。ははは…どこのお家(うち)でもよかったんですよ…」
「… なんだ、そうでしたか…」
 柏葉は妙な人だな…とは思ったが、よくよく考えてみれば、知らない人のお墓へ参って悪い・・という決まりもない訳である。
「それじゃ、私はこれで…」
「はあ! ご苦労さまでした…」
 去ろうとする紳士風の男に柏葉は思わず労(ろう)を労(ねぎら)う声をかけていた。その瞬間、疲れた身体の柏葉も、何かいいことをしたような気分の昂(たか)ぶりを感じ、疲れが取れていた。
 いいことがあれば疲れることも疲れなくなるようだ。^^

                   完

よくある・ユーモア短編集 -84- 曲がる  <再掲>

 金属は熱を加えれば、大よその物は曲がるか、溶ける。人も程度の差こそあれ、曲がって生きている。まあ人の場合は、自(みずか)ら積極的に曲がる人、影響を受けて曲がりやすい人、なかなか同調せず曲がりにくい人・・などと分かれるが、それでも少なからず曲がらなければ世間では生きられず、遠退(とおの)くことになる。曲がりにくい人は頑固(がんこ)者と呼ばれるが、さらに、まったく曲がらない人は宗教者、芸術家、芸能人などといった独自の分野で光を自ら発する人々で、世間とは一線を画(かく)す。いわば、他の人々を自らの光で曲げる能力がある人・・ということになる。
「はいっ! それはもう…。私がやっておきますので、課長は先方の接待へお行き下さい…」
「そうか? すまんな、軟場(なんば)君」
「いえ…」
 係長の軟場はグニャリ! と自ら曲がり、課長の鋼原(こうばら)にピタッ! と溶け込むように接着した。
 それを遠目で見ていたのは、そんなお調子者の軟場を快(こころよ)く思わない平社員の陶山(とうやま)と硝子(がらす)だった。
「チェ! 軟場のやつ、また曲がってら…」
「ほんと! あの方、よくもまあ、あれだけ柔らかく曲がられますよね、陶山さん」
「君もそう思うだろ?」
「ええ!」
「フンッ! 料亭かっ! こっちは屋台だっ! 行くぞっ、硝子!」
「はい!」
 腹立たしくデスクの椅子を立った陶山に肩を叩(たた)かれ、硝子は釣られるように席を立った。硝子は陶山に完全に溶かされて曲がり、形のいいグラスになっていた。
 多数から浮き上がるのが嫌(いや)で、いつの間にか多数に入って曲がることは、世間で、よくある。

                    完