秋の風景 第十話 マフラーの夢
(第十話) マフラーの夢
「もういいよ! 古いのがあるから…」
と、僕が夕飯時にゴネているのには、明確な理由がある。実は明日、巻いて出ようと思っていたお気に入りのマフラーが見つからないのだ。
「確か…このタンスへ入れたんだけど…」
嘆きながら、母さんは場当たり的にアチコチと三十分以上も探している。宝探しでもあるまいし、ところ構わずイジれば出てくるというものではないだろう…とは思うのだが、稼ぎのない居候の身の上では返す言葉もなく、好きにして戴くしか手立てはない。
「…なんだ、探しものか?」
新聞を読み終え、居間から奥の間へ入ったのか、父さんの声がして、母さんに問い掛けた。僕は台所のテーブル椅子にいて、母さんが持ってくるマフラーを意味もなく待っていた。夕飯前だから、母さんも小忙(こぜわ)しい時間帯なのだ。夕飯準備の途中にマフラーのことを云った僕にも責任があるから、悪く思った僕は、茶碗とお皿ぐらいは…と、テーブルの上へ並べ始めた。少なからず後ろめたい気持がした為である。そこへ武士のじいちゃんが満を持して入ってきた。
「なんだ? 飯はまだか…。正也、未知子さんはどうした?」
「ん? 探しもの…」
「探しもの、とな? …よく分からんが、飯より大事なものらしいな」
僕は敢えて答えなかった。武士に対して、『僕のマフラーを…』などとは、とても尋常に語れたものではない。まず、そんなことはないとは思うが、場所が台所だけに、茹で蛸に変身した武士に包丁でスッパリ斬られては元も子もなくなる。それは飽く迄も有り得ないシナリオなのだが、そんな気持も心の奥底にチビリとあり、僕は敢えて答えなかったという訳である。
五分後、とうとう音(ね)をあげたのか、母さんは無言でテンションを下げ、夕飯準備の続きをしようと台所へ入ってきた。後ろから、付き合って探していた父さんも入り、その日の夕飯はいつもより雑然とはしたが、それでも平穏に終わった。
その晩、僕はマフラーの夢を見た。夢の中へ探していたマフラーが現れ、「ドコソコにありますから…』と、告げたのである。
朝、目覚めた僕は、朝食の準備をしている母さんに、そのことを云った。母さんは、ドコソコへ小走りした。すると、不思議なことに、そのマフラーはドコソコで見つかった。この一件は我が家で物議を醸し出し、一週間に渡り、この話題で持ち切りとなった。
今思えば、僕の記憶のどこかに、マフラーを収納する母さんの映像が残っており、それが単に夢となって現れたのだ…と思える。また、そう思わないと、秋が更けていくというのに夏場の怪談めいて寒くなる。まあ、某メーカーの洗剤Xで磨いたようなじいちゃんの神々しい頭だけは、夢ではなく、紛れもない事実なのだが…。
第十話 完
秋の風景 第九話 独演会
秋の風景 水本爽涼
(第九話) 独演会
秋と云えば、何といっても芸術だろう。
━━ 芸術の秋 ━━ と聞くだけで、何故か高尚な趣(おもむき)を感じるのは僕だけだろうか。
じいちゃんが芸術を堪能するのはテレビだ。今夜も台所のテレビのリモコンを押した。
「最近は、なんか風情のある番組が減ったなあ…。クイズと云やぁ~賞金、サスペンスと云やぁ~殺人。それに報道と云やぁ~知る必要もない暗い、悪い、陰気なニュース。…いったい、汗水流す人間のためになってんのかっ?! うぅぅ…、まだあるぞ!」
誰も話す相手などいないのに、じいちゃんは独りごちて怒っている。風呂上がりだったので、いつもの楽しみにしているジュースを取りに、僕は冷蔵庫へと近づいた。今思えば、これがいけなかった。僕はじいちゃんの蛸蜘蛛の糸に引っ掛かり、哀れにも長話(ながばなし)を聞かされる破目に陥ってしまったのである。無論、蛸蜘蛛などという蜘蛛は、この世には存在しない。飽く迄も、じいちゃんの禿(は)げ頭と網にかかった虫を捕える蜘蛛とを結びつけて、僕の立場を喩(たと)えた迄である。
「おっ、正也。まあ、ここへ座りなさい」
云われるままに椅子へと座った僕を前にして、突然、じいちゃんが語りだし、独演会を始めた。
「どう思う?」「…ん? どおって?」
「儂(わし)の小言(こごと)、聞こえてなかったか?」
「まあ、一応は…」と暈すと、じいちゃんは僕をマイクに見立て、凄い剣幕で語り出した。
「正也はどうか知らんが、どうも最近のテレビは面白くない!!」
「そんなこと、僕に云ったって…」
じいちゃんの話は長かったので端折(はしょ)るが、滾々(こんこん)と湧き出る洗い場の水のように二十分は優に聞かされ、その夜の僕はジュースで寛(くつろ)ぐどころか、じいちゃんで疲れ果てた。しかし、捨てる神ありゃ拾う神あり…とは、よく云ったものだ。そこへ、神では毛頭ないが、第二の獲物となる風呂掃除を終えた父さんが入ってきた。
「おっ、恭一。いいところへ来た。まあ、座って聞け」
「えっ? 何をです? 風呂番で疲れまして…、ビールで一杯やろうと思ってたんですが。・・父さんも、どうです?」
「…、それは、まあな…」
流石は父さんだ…と、僕は思った。逃げの壺を心得ている。僕は、じいちゃんの応対を父さんに任せて、スゥ~っと台所から消えた。
その後、飲み終えたジュースのコップを台所へ戻しに行くと、すっかり出来上がった茹で蛸のじいちゃんと、少しほろ酔い加減で迷惑顔の父さんがいた。耳を欹(そばだ)てると、父さんは「ええ…」「はい…」と相槌を入れるだけで、じいちゃんに捕まり受け手になり果てた鬱憤(うっぷん)を酔いで紛らしている。一方、じいちゃんは相変わらず滾々とテレビ番組をネタに愚痴りながら独演会を続けていた。客はただひとり、父さんである。母さんは既に家事を終え、晩酌の準備だけをして、今日は早めに部屋へと消えた。明日はPTAの役員会だそうである。安定したヒラの父さん、役員の母さん、孤高を持するじいちゃん、出来のいい僕…。各人各様に、平和な家庭の秋の夜長が更けていく。
第九話 完
秋の風景 第八話 お彼岸
(第八話) お彼岸
今日は彼岸の入りが父さんの休みと重なったので、珍しく家族全員でお墓へ参った。勿論、お彼岸には家族の誰かが欠かさずお参りしているのだが、全員でとなると、僕の記憶ではたぶん、数度だったと思う。
お墓は近くの山の中腹にあり、いつも、うらぶれた佇(たたず)まいで僕達を迎える。夏場ではないから、そう怪談めくということもないが、場所柄(がら)、気持ちがいいという所では決してない。じいちゃんとのコンビでは何度か参ったことが過去にあった。その時、僕はじいちゃんの別の一面を垣間見た気がした。あの気丈なじいちゃんが、何やらブツブツと云いながら泪を流して嗚咽(おえつ)するのである。何度も諄(くど)く云うようだけれど、あの、あのじいちゃんが、である。剣道の猛者(もさ)も師範もあったものではない。今日はどうなるのだろう…と、興味津々(しんしん)であったが、到着すると案の定、じいちゃんのワンマンショーが御先祖様と僕達を前にして開演した。いったい何をブツブツ云ってるのだろう…と、聞き耳を立てると、念仏ではなく何やらお墓へ語り掛けているようだった。更に耳を欹(そばだ)てると、ばあちゃんに対して、どうの、こうのと語っているのだった。残念ながら、僕はばあちゃんを知らない。それも当然で、僕が生まれる遥か昔に、ばあちゃんはお墓へ引っ越したのだった。だから、僕が全く知らないのは道理なのだ。
「ばあさん…、儂(わし)も、すぐ行くからのう、ウゥゥ…」
漸(ようや)く聞き取れた唯一の言葉が、これである。いや、いやいやいや…、それはないだろう、と僕は、すぐ全否定した。意気益々、盛んなじいちゃんが、すぐお墓へ引っ越す訳がないのである。
「お父さん、そろそろ帰りましょう!」
一緒にしゃがみ込み、お墓に手を合わせた父さんは既に立っていて、じいちゃんを見下ろすように、つっけんどんな声で云う。母さんと僕は、未だじいちゃんの横でしゃがんで手を合わせていた。
「お、お前は薄情な奴だ! …ばあさんが草葉の陰で泣いてるぞっ!」
じいちゃんは、いつもの茹(ゆ)で蛸のじいちゃんに戻り、ここ、お墓でも雷鳴を響かせた。秋の陽は釣瓶落とし…とは、よく云うが、早くも西日となって姿を消しかけた橙色の太陽光が、じいちゃんの頭へ照射して輝かせる。やはり、某メーカーの洗剤Xで磨いたような輝きである。
「お義父さま、そろそろ帰りましょうか?」
「そうですね、未知子さん…」
青菜に塩…と云うが、正に今のじいちゃんがそれで、泣いて怒ったじいちゃんは、笑顔で素直になった。紅く咲く彼岸花にも似て、派手だなあ…と、僕はしみじみ思った。
第八話 完