怪奇ユーモア百選 12]怪談 鰯雲(いわしぐも) <再掲> | 水本爽涼 歳時記

怪奇ユーモア百選 12]怪談 鰯雲(いわしぐも) <再掲>

 正樹が学校の帰り道を歩いていた。晴れ渡った空には鰯雲(いわしぐも)が出ていた。クラスで飼育係の正樹は動物の世話を終え、ようやく解放された気分だった。まあ、動物好きだったから苦にはならなかったが、それでも他の生徒より小一時間遅れての下校になったから、それが嫌だった。そんな正樹を慰(なぐさ)めるかのように、鰯雲は空高く棚引(たなび)いて美しい姿を正樹に見せていた。晩秋のことでもあり、陽はすでに西山へと傾きかけていた。正樹はしばらく立ち止まり、鰯雲を眺(なが)めていた。
「あっ! いけねぇ~」
 道草をし過ぎた…と気づき、正樹は慌(あわ)てて歩き始めた。そのときだった。
『みんな元気かぁ~~』
 低く響く声のような音が空から正樹の耳へ伝わった。正樹は、ビクッ! として、ふたたび立ち止まり、辺(あた)りを見回した。どこにも人の姿はなく、刈り取られたあとの田が一面に続くだけである。人がいる気配もなかった。正樹は少し気味悪くなり駆けだした。
『お~~い、待てよぉ~~』
 駆けだした正樹の頭の上からまた声のような音が響いた。少し先ほどより大きめの轟(とどろ)く声のような音だった。正樹は駆けながら、思わず上空を見上げた。空の鰯雲の大群がスゥ~っと正樹に近づいて下りてきた。んっな馬鹿なっ! と正樹は自分の目を疑(うたが)った。だが現実に正樹の目に映(うつ)る雲は、下りながら速度を弱め、フワリフワリと正樹を取り囲むように包み込んだでいた。まるで霧の中にいるように視界は閉ざされ、正樹は完全に前へ進めなくなっていた。
『そう、逃げなくてもいいだろ、正樹君』
 白い雲から声のような音が響いた。というより、雲が話す声がはっきりと聞こえた。
「なんなんですか! 僕になにか用ですかっ!?」
 正樹は思わず叫(さけ)んでいた。
『そうそう、用があるのさ。動物は元気かい?』
 雲の声が、また聞こえた。
「はい、元気ですよ。それがなにか?」
『いや、それならいいのさ。またな…』
 白い霧は、まるで一ヶ所に吸い取られるように螺旋(らせん)状に上昇し、上空で元の鰯雲の姿を形作った。
「嘘(うそ)だろっ!」
 正樹は空を見上げ、大声を出した。
『嘘じゃないぞ』
 また空から鰯雲の声がした。
「…」
 怖(こわ)くなった正樹は懸命に家をめざし走っていた。
「どうしたの、正樹?」
 母親の里江が息を切らして玄関へ駆け込んだ正樹に訊(たず)ねた。
「… … なんでもないよ…」
 しばらくして、正樹は返した。
「そう…。あっ! これ、来てたわよ。封が開いた動物園への招待券。差出人が書かれてないし、局の消印もないの。おかしいわねぇ?」
 正樹に心当たりはなかった。…いや、あった。鰯雲からだ…と正樹は思った。

   
                     完