スピン・オフ小説 あんたはすごい! (第六十八回)
第六十八回
盛り上がっているのはボックス席の三人である。『なあ、早希ちゃんも唄えよ』、『あら、そう~お? じゃあ、唄っちゃおう…』などという声がカウンターまで響いて聞こえた。おっ! 早希ちゃんの唄か…、こりゃ久しぶりだ、と思えボックス席を見ると、早希ちゃんが選曲した番号を入れているところだった。姿勢を元に戻して何げなく酒棚を見ると、例の玉は同じ位置にあったが、その夜は異様な渦巻き状の光は発していなかった。丁度、ママが立つ位置のすぐ後ろだったから、ママの動きに連れ、チラチラと玉は見え隠れしていた。その時、カラオケの曲が変わり、新たな前奏曲が流れ出した。私がふたたびボックス席を窺(うかが)うと、早希ちゃんがマイクを握った。これは…と、耳を欹(そばだ)てた時、ママが私の耳元で囁(ささや)いた。
「沼澤さんがね、昨日(きのう)いらしたわ…」
「えっ! そうだったんですか? で、何かおっしゃってました?」
「それがね、…まあ、聞いてよ」
私は早希ちゃんの唄とママの話を同時に聴いて聞く破目に陥ってしまった。早希ちゃんが唄い始めた。演歌とは云えないが、それでも彼女なりに客嗜好(しこう)に精一杯、合わせたような静かな曲である。これなら二人の客連中も機嫌を損ねることはなかろう…と思えた。
「満君のことを云ったのよ。そしたらさぁ~」
「えっ? ええ…」
「ちゃんと聞いてる? …終わってからにするわ」
ママは幾らか膨(ふく)れぎみの口調でボックス席を見た。