符計算はなくすべきか | 無気力無関心(仮)

符計算はなくすべきか

「符計算はなくすべきか」という議論は、それこそ何十年も前から繰り返し行われていますが結論は出ていません。

 

この状況に対する僕の見解を述べたいと思います。

 

【2022年4月追記】

この記事はリアル麻雀を主眼として書いていますが、ネット麻雀も含めた麻雀全体としては『最終的にあらゆる面でネット麻雀が主流となることは避けられないので、符計算に関する無駄な議論自体がネット麻雀(ひいては麻雀全体)の足を引っ張ることになる』というのが現時点での僕の見解です。

 

まず大前提から説明すると、『符計算の問題は麻雀のあり方の問題である』ということです。

 

例えばどこかのコミュニティ(雀荘や競技団体など)が符計算をなくしたルールを採用したとしましょう。(別にそれ自体は自由)

 

しかし、それはそのコミュニティ内の問題に過ぎず、新しいローカルルールが増えるだけで麻雀のイメージや普及に対して別に何も影響を与えません。(むしろ符計算を巡る批判合戦が悪影響となりうる)

 

 

では、なぜそうなってしまうのでしょうか。

 

その理由は『麻雀が競技として成立していない』からです。

 

一般的に競技を競技たらしめる条件は以下の3つと考えられますが、現状の麻雀はこれを1つも満たしていません。

 

・基準として機能する公式ルール(必ずしも統一ルールである必要はない)

・適切なクラス分け(麻雀の場合は客観的な実力評価)

・上2つに対する責任を負う統括組織(それが国内に複数存在しないこと)

 

特に基準として機能する公式ルール(それを話し合う場)が存在しない為に、「(符計算のあり・なし以前に)麻雀のルールをどうすべきか」という議論自体が成立しないのです。

 

まず重要なことは公式ルールを規定・普及させる土台を作ることであり(どういうルールであるべきかは後からでも変更が利く)、その為には麻雀のあり方を根本から改革しなければなりません。(基準が必要なだけで全ての麻雀が競技である必要もない)

 

 

しかし、麻雀のあり方を改革することは容易ではなく、現状での次善策は何なのでしょうか。

 

それは符計算を採用する・しないに関わらず、『符計算ができなくても麻雀はプレイできるし楽しめる』というポジティブなイメージを普及させることです。

 

符計算はそれを必要だと思う人が自発的に身に付ける技術であり、強制されるものでもありません。

 

符計算ができないことをバカにする風潮をなくし、同時に実力に沿った技術習得(教える側の指導体系の整備)も行われるべきです。

 

※これも麻雀のあり方の問題(客観的な実力評価が普及してない)の1つであると考えられます。

 

 

最後に、符計算ができない人を補助するアプリについて考えてみます。

 

先日、麻雀カメラという手牌を読み取り自動で点数計算をしてくれるスマホアプリが発表されました。

 

 

このアプリが麻雀の普及につながるとはとても考えられない(黒歴史化した点数計算機能付き自動卓と同様にリアル麻雀との親和性が悪い)のですが、この応用には色々な可能性があると思います。

 

こういうアプリの需要というのは実力の向上(補助)と密接な関係があり、 麻雀カメラは(進行の手助けはしてくれるが)自分で点数計算がきるようになる訳ではないので需要も低いのですが、これが打っている最中に『テンパイの手牌の和了牌とその点数』や『天鳳牌理』などがリアルタイムで表示されるようになればかなりの需要が見込めると考えられます。

 

ただ、これはカンニングの不正にもなりうるので競技として使うことは難しいのですが、初心者の補助としては有効であると思います。

 

※特にネット麻雀では使用の証拠が掴みにくい為にその信用が落ちる可能性もありますが、こういう技術革新は不可逆なのでそれを見越した対応を考えていくしかありません。