“戦術論”論7 | 無気力無関心(仮)

“戦術論”論7

お久し振りです。3日ぶりの更新ですw


間が空いてグダグダになってしまいましたが、とりあえずまとめてしまいます。



前回、『戦術とは手段である』と書きましたが、それを理解していないから矛盾が起こるわけです。


仮に手段であることを意識した戦術書を発表しようとするのならば、現在の戦術書の形式に則った形ではそれを実現することはできません。



それではどのような形式であればいいのか?いくつか例を挙げていきます。


・仮説は仮説として用いる。(“戦術論”論3

・選択肢とその選択を明示する。(“戦術論”論4

・手段の選択であり、言い訳の選択でないということを明確にする。(セオリーの確立

・前提(戦略)を明示して、その後に手段(戦術)を選択する。(目的・手段・結果



とりあえず以上の点に留意すれば形式上の問題はありませんので、後は既存のトンデモ理論を鵜呑みにせずに、オリジナリティーある仮説を出していけばよいのではないでしょうか。


僕も、このまま問題提起だけして投げっぱなしにするつもりはありませんので、そのうち戦術・戦略についても書いていくつもりです。(いつになるのかは分かりませんがw)




オマケ


仮説とは『経験科学上の仮定(経験則)』ですので、どんなものであってもその存在自体が非難されることはありません。


しかし、それが非難される要因はそれを利用(悪用)する人間のモラルの問題であり、麻雀は…。