今回の旅の一番の目的は、
祖父のお寺の〈跡地〉を探すことでした。

母には兄弟がたくさんいるのですが、一人もお寺を継ぐことを選びませんでした。

祖父が引退し、その後亡くなったのと同じ年に、祖父のお寺は火事で焼失してしまったそうです。

周りの木やお家に広がること無く、お寺だけが焼けて無くなり、誰も怪我をしたりしなかったのは良かったのですが、
母達兄弟は
「お父さん(祖父)、心の中では誰も継がなかった事を怒っていたのかな。それで燃やしちゃったのかなΣ(゚Д゚)」(コワイよ)

亡くなったのとお寺の焼失があまりに近かったので、火事は亡くなった祖父の仕業なんじゃないの⁈
なんて話題にしていました( *´艸`)

まさかね笑

    
その母達が育ったお寺に、私は一度も行った事がありませんでした。
今はもうお寺が無いことは分かっていても、その場所を一度訪れてみたかったのです。

以前母から聞いた話では、お寺の跡地には〈お賓頭盧さま〉のほこらがある。とのこと。

今回はそれを探しに行ったのです。

とは言え住所は町の名前までで番地は分からず、母から聞いたいくつかの手がかりはザックリ大雑把なものでした(^_^;)

近くまで行っても、郵便局や公民館はGWで閉まっているし、お店もやっていなくて、信濃境駅までいってみたけど駅員さんがいない…。

それで駅に見送りに来ていた方や、犬の散歩をしている方、縁側で井戸端会議をしていた方、畑仕事中の方、とにかく人を見つけては〈30年ほど前に無くなったお寺〉を知らないか尋ねると、

「そのお寺、あります」   へっ⁈

その方の話では、何年か前にお寺は再建され、お寺で何かある時だけお坊さんが県外からいらっしゃるそうです。

教えもらった道を歩いて行くと本当にありました(T ^ T)
信じられない気持ち。

本堂は新しく建てられていて、何より嬉しく驚いたのは、釣鐘の乗った山門は当時のままそこにあったのです。 
大きくはないけど、重みを感じる姿で、すごくカッコいい。

お賓頭盧さまは、ほこらではなく水辺に立っておられました。
     
  

今回、正直その場所に辿り着けなくても良いと思っていました。
もし見つからなくても、
「富士見町まで行って探す。」
という行動を起こせただけでも満足だったんです。

でも見つかった。
声をかけて聞く人聞く人、皆さんとても親切でした。
「分からないわ、ごめんなさいね」で済ませる人は一人もいなくて、皆さん知恵を貸してくれて。

なんか私、色んな人にここまで連れて来てもらったんだな〜。って、ジーンとしました。

もしかしておじいちゃんも手伝ってくれた?

まさかまさかね笑

着いた時、ここ⁈本当に⁈って嬉しくて興奮しちゃった。
おじいちゃん!私来たよー!


母には、山門にある釣鐘にまつわる思い出がたくさんあります。
子どもの頃、鐘をつくのが面倒で早く終わらせてたくて連打した!とか、鐘が鳴っている間に真下に入って頭がグワーン!ってなったとか笑(バチ当たるわ。)


優しいお顔の《おびんずる様》