非を認める必要がそもそもないのではないかということについて考えてみる。

わたしはどこを目指しているか?
自分のしたいことをすべてやりたい。
そのために必要なものは?
健康な心身。
そのために必要なものは?
バランスのいい食事と適切な運動と十分な睡眠。

ふむ…非を認める話にもどろう。
非を認めると、旦那にイラつきつつも普通の明るく楽しい家庭を築けるんじゃないかというところにいきついた。
じゃあ非を認めないとどうなるんだろう?
たとえば昨日の例でいうと、ブチ切れてわめき倒してわたしの機嫌をとれっていうことになるのか?
ううんそうではない。
非を認めないのはわたしの機嫌をとってことじゃなくて、自分の中でポジティブにとらえ直すことだとしてみよう。
我慢が報われなくてわんわん泣いて…あ、もうここじゃない?
我慢してる場合じゃないんだ。
いや我慢したつもりになってるけどちゃっかり我慢してないから。
相手がわたしに我慢を強いてきたってことに腹を立ててたのか。
そこまでわたしのこと好きってことじゃん。
貴女のことが好きでそれについては自分の手の届く範囲にあってほしいから我慢を強いてるんでしょ。
かわいいじゃないか。
わたしはだらしなくその我慢を無視して生きていけばいい。
だってなにより優先すべきはわたしがわたしのために生きることだから。
その軸がブレたら周囲をしあわせにすることができなくなる。
もっというと、わたしが楽しく自分の人生を生きることだけが、わたしに関わるすべての人をしあわせにする行為だと信じてる。
だからそもそも非を認める必要はないし、非を認めない必要もない。
いかにすれば相手の存在を、起こった物事を、矯正することなくポジティブにとらえ直すことができるか、その1点だけを考えていけばいい。