富士急行3100形は1956年製造、昭和30年代に日本車輌が地方私鉄向けに製造した、いわゆる「日車型ロマンスカー」の先鞭となった車両でした。
1956年当時、国鉄電車は全て吊り掛け駆動でした。
くわえて、大月駅で接続する中央線に至っては、2本の電車以外は全て客車列車でしたから、全金属製のカルダン車の投入に山麓電鉄の意気込みを感じます。
そもそも3100形は2編成でしたが、1971年に第2編成(3103-3104)が踏切事故によるブレーキ破損で急勾配を暴走、後部に乗客が避難したところ、奇しくも後部車両(3104)が転覆大破する大惨事(17名死亡)がありました。
それ以来、富士急行は「4」「9」を忌番にしています。
(モハ3102 大月駅)