かつて、国鉄の救援車で鶴見臨港鉄道の社型が中野電車区と高槻電車区に在籍していました。

日本初の4ドアとして有名でしたが、実物は車窓から眺めただけでした。

同じく鶴見臨港の車両で後年まで見られたのが、銚子電鉄と静岡鉄道です。


仲ノ町駅に停車中の銚子電車デハ301です。

1970年代は京成から来たデハ201とともに銚電の主力車両でした。

15m級ながら当時の銚子電鉄では大型車の部類でした。

平成2年銚電の経営権が地元の内野屋工務店に移った際、残念な塗装になってしまい足が遠きました。

晩年は犬吠駅の側線に放置されていましたが、2009年解体されました。 

静岡鉄道のモハ20は長沼工場で機械扱いとして長らく入換に従事していました。

1997年に引退した後も、再塗装のうえ側線に留置され、恒例の工場公開時に見ることができましたが、2007年に解体されました。


これを持って鶴見臨港鉄道の車両はすべて無くなります。