私が大学を卒業した昭和61年、とある私鉄に就職し、退職までの13年間お世話になりました。


労働組合は私鉄総連の傘下で、組合員には春闘の時期になると春闘バッジが配布されます。

私は事務職でしたので実際には着用することなく机に収め、そのうち捨てていました。


ただ何年分かは捨てることなく、コレクションのひとつとして現在も保管しています。


(上段の77、79年はアルバイト先の某駅で頂いたもの)


春闘バッジから労働組合の変遷が垣間見られて興味深いです。

70年代は国民春闘勝利とあります。

今では完全に死語です。


そして、92年以降はスローガンが消えます。


労働組合の置かれている立場が伺えます。

今では、大手並妥結額とか春闘ストライキとか全く聞かなくなりました。


PRUの私鉄総連バッジを襟に付けた私鉄職員も今では殆ど見かけません。


もちろん、職務乗車証での相互乗車などは、とうの昔に廃止(禁止)されています。


24年ほど前、春闘が妥結した数日後の夜、某県を走る路面電車に職務乗車証を提示して乗り込んだ時です。(当時は会社間の合意です)


初老の運転士から「おたくはどうだった?」と言われ一瞬戸惑いましたが、春闘妥結額のことだな、と思い、妥結額を伝えました。

運転士は「ウチも大変だけど、おたくも大変だね」と言い、ノッチを入れました。

古き良き時代の出来事です。