昭和50年初頭、東武東上線小川町駅以北は通票閉塞で腕木式信号機も健在でした。

この頃、73、78型を撮りに良く出かけました。

交換駅の東武竹沢、男衾、鉢形駅とも現在と同じ島式ホームで、6両編成の端から端まで移動するのはしんどかったのか、ママチャリの前カゴに通票キャリアを入れて、ホームを自転車で走行するという、今までは信じられない光景が日常でした。


また、週末には秩父鉄道乗入れの特急が2本あり、通過の際には車掌が先頭に乗り込んで、タブレットの授受を行なっていました。

(東武竹沢駅にて、残念ながら特急に73、78型が運用に就いた機会はありませんでした)

(東武竹沢駅にて、右上に小川町方の通票の形状を示す標示板があります)

ちなみに、並走する八高線も通票閉塞で、八高線小川町駅の通票取り扱いは東武委託で東武の職員がタブレット授受を行なっていました。
同じく、川越線川越駅の通票取り扱いも東武委託でした。

(男衾駅にて、早朝の78型池袋行き準急)

腕木式信号機も健在でしたが、自動閉塞化の数ヶ月前に一足早く色燈式に置き換えられました。

(男衾駅の東武竹沢方の場内信号機、周囲は人家はなく隔世の感があります)