人と人は違う生き物
小さい頃から母は私とは感覚が違っていた。
家の中で私だけドラマが好きだった。
祖母が見る時代劇を一緒に見るのも私だけ、母や他の兄弟はドラマよりアニメ好きで私のドラマの話には興味も持たれなかった。
母が姉や兄や妹とアニメ作品について楽しそうに話してるのが羨ましくて私も話をするけど見てない母はいつだってめんどくさそうに聞いていたし「でそれ何が言いたいの」と主語や述語をまともに使って話せない私に苛立つしまつ。
私はただ話を聞いて欲しかっただけだったけど
それすらイラつかせるだけでしかなくて...
その結果
私は母の代わりを外に求めて
近所の公園に来た子連れの親に話をする子供になった。
子連れが連れてきた子供と遊びつつ自分の話を聞いてもらうと言うことをしていた。
今思うと子連れの人達寛大だったな
そうやって心の置き所を作って生きてた。
家には置けないから会話すらしたくても怒らせるだけだから。
私と母は趣味も良いと感じるものも違いすぎて
ぬいぐるみやドールも好きで集めても「気持ち悪い」「邪魔」「お母さんに見えないとこに置いて」等々と言われるの。
小さい頃から
「これ可愛くない?」
と同意求めて話をしても
「お母さんはそんなの可愛いと思わない」
と同意されることはほとんどなかった。
なので
映画を共に見ても
舞台を共に見ても
感想は全く違うものになる。
この人から私産まれてるんだよな?
と思う位
同じ感性を持たない。
同じ人に育てられた兄弟とも
また、同じにはならない。
こんな風に
小さい頃から「個」だった
『個』
私は私で
母は母。
好きも違えば嫌いも違う
そしてそれでいいのだと
小さい頃から学んだ。
だから私は私の好きを突き通せるのかもしれない。
否定の多かった環境でも
でも私はこれが好きなんだものと
主張して生きてきたのが今に繋がってるんだなと
人は人
私は私
共感や同調と言うのは実はそう持てるものでもないと言うことを早くから知っていたのは良かったのかもなと、何故なら同じにならない子を「○○好きじゃないなんてあの子変」とか言う感覚を持つことがなかったし「えー○○見てないの?みんな見てるのに」なんて言わなかった。
周りの子が殆ど知ってる話題についていけなくても平気だったのは自分とは違うことを知っていたからなんだと思う。
兄弟が多いことが嫌だった頃もあったし
親に憎しみを抱いた頃だってあったけど
有難い環境だったんだろうなと思う。