『おっさんと、じじいの独り言と、がきんちょ達へ愛を込めて』 | ひろのブログ

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そんなわけで 私は若者には思ってることを素直に 自分にぶつけて欲しいと思っている

自分では思いつかないような発想だったり ものの見方だったり 色んな新しい発見に出会えそうな気がするから

年を取った時に感じた
若者たちというのは 未来であり 希望だということ
自分とは異なる時代に生まれたの
異なる環境で育ち異なる常識で育ち だからこそ 自分とは違う素晴らしさを持っている 感覚を持っていると思う

自分とは違う者同士 それがうまく 混じり合った時に まったく新しい良いものが生まれるように そんな作用が 私は好きでワクワクする

自分よりも年上の大人に対しても 同じように思う 俺が死ぬまで生きたとしても 百まで生きようが 一万年生きようが やはりまだ未熟なところが残るだろう

だからこそ 若い者が 必要なのではないだろうか いろんな意味で 助けてもらう 協力しあう

私も 自分よりも年上の人たちに 心のままに 話せたらと思う 時には 相手を怒らせるかもしれない こちらが間違っているなら 心からお詫びいたすが

そちらが間違っている時は それを素直に 真摯に 受け止めていただけたらと思う

大人が間違うことは それほど珍しくもないし 悪いことでも ないと思う 人間はいくつになっても間違うし未熟だと言う 前提だから

むしろ若いものに何か言われて怒ってしまったり 自分の未熟を覆い隠したり そちらの方が恥ずかしかろう 

自分の間違いを未熟を 指摘されて それを笑い飛ばせるような それをドーンと
受け止められるような大人だったら むしろ尊敬してしまう そんなでっかい心の器の 大人がいっぱいいて欲しいものだ

不思議なものが 自分の間違いを認めない それをごまかすものが 帰って小さく見えてしまう
反対に 自分の間違いや未熟を 素直に受け止められる大人の方が 立派に見えてしまう 大人に見えてしまうということ

学校の授業かなんかで これを教えて欲しいくらいだ

そうしたら子供たちはそういう認識になる 大人になった時にそういう心でいられる たったそれだけでも 日本の未来は 明るくなるのではないのか もっといい日本がたったそれだけで できてしまうのではないか

つまらない大人の意地のせいで 子供達が窮屈になっていく 言いたいことも言えない 思ってることを スッと言えず飲み込んでしまう

これは違うよな
これは大人の 子供に対しての責任じゃねえのか

大人がもっと大人 らしくしてやらねぇと 子供達が苦しんで しまうじゃねーか

行けねえよな、 大人達が ガキンチョ達を苦しめちゃいけねぇ

ガキンチョ達はのびのびと 笑顔で ドタバタ走り回って きゃっきゃきゃっきゃと 好きなことやって 大人に怒られたり 迷惑かけたりしながら
それでも 笑い飛ばして成長していく そういう生き物じゃねーかと思う😁

俺はがきんちょと呼ぶ でもそれは 愛情たっぷり こめての呼び方だ

本当に若い連中から おっさんと呼ばれようが
 じじいと呼ばれようが 一向に構わない 好きなように 呼べばいいと思う
俺が人間としてちゃんとしてりゃ~
ガキンチョ達も ちゃんと 少しばかり敬意を込めて 俺のことをおっさんとか じじいとか 読んでくれるだろう
言葉遣いが荒くぽかったとしても ちゃんとそこには優しさや温かみがあるのを こちらは感じ取れるだろう

そしてこちらの言葉も あいつらの心には
 優しく暖かいものを感じ取ってもらえるんじゃねぇかと思う