Lです。せっかくなので漫画「DeathNote」について語っても良いのですが、
今ジャンプに連載中の同じコンビ(大場さん小畑さん)の漫画にも注目していて、それに関する論考が固まってからにします。

さて、Loveです。「愛」です。
英語なら似たものにLikeがありますが、演劇、それも物語を扱う上で欠かせないのが、この「愛」です。

ギリシャ語だと、ストロゲー、フィリア、エロース、アガペーと4つほどあります。
ストロゲーは肉親の愛ですね。兄妹愛も含まれるかもしれません。
フィリアも兄弟愛に近く、いわゆる友情が含まれます。
エロースは一番分かりやすく男女間の愛です。物語の中でも主題になることが多いです。
そして、アガペー。これは人類愛とでもいうべきでしょうか。自己犠牲的な愛を言います。
僕の好きな、宮沢賢治の「グスコーブドリの伝記」なんかは、これを描いているのかもしれません。

実際、「愛」はとても多面的です。
ポルノグラフィティというロックバンドの「愛が呼ぶほうへ」の歌詞では、悲しみも喜びも愛が持つたくさんの名前の一つである、と出てきます。
「感情のもと」となっているのでしょうね。恐らくですが。(この歌詞では擬人法が使われていて、非常に好きな歌ですが、真の意味は一つとは限らないかと思います)

さて、目下高校生達と取り組んでいる戯曲でも、愛は出てきます。
ただ、それが上記のどれに当てはまるのか、思案のしどころです。

「社会の底辺に暮らす青年と、さげすまれて生きてきた娘の幻のような恋を描いた」と本のあらすじでは書かれています。

舞台は1930年、アメリカ南部のテキサス州メタダー。片田舎の町で女に暴行したかどで捕らえられている若い男。
そこへ現れる留置所の賄いの少女に「一緒にサンフランシスコに行こう」と言って、自分を解放させようします。

男は少女を口車に乗せているようでもあり、本当に心配しているようでもあります。
「世界中で一番かわいい」と、言いますが、そのときよりも「いい娘だね、君は」といった時のほうが本心のように思えるのです。

きっと、エロースというよりは、フィリア。
あるいは男に妹がいたなら、その娘に思いを重ねているのかもしれません。
実際、少女の名前を本名のエミリイではなくケイティと呼ぶのです。(男は冒頭、少女の事を「ケイティか?」と呼ぶ。)
となるとストロゲーでもあります。

でも、やっぱり大きくはアガペーではないかと思うのです。
若い男は、たとえ自分は倒れても、少女は、少女だけは今の暗い貧しい環境から抜け出して欲しいと願っているのではないだろうか。
だからこそ、(世界に向かって)というト書きで、“奴ら”への不満をぶちまける。

きっと一瞬、妹か好きだった女の子(ケイティ)に少女が見えたのだと思います。
そしてその愛が永遠となるのです。(男は殺されてしまいます)
上にも書いた「愛が呼ぶほうへ」の歌詞のとおり、“愛”が、永遠で一瞬で、若い男にとっての全てになったのでしょう。

とはいえ、こういういろんな感情の機微、愛の神秘、愛で人が馬鹿な行動に出てしまうことを、
どのように高校生達にやらせよう、ということで現在悩んでいます。

僕自身、やっとこの年で分かりかけてきたかな・・・???ぐらいのもんです。
なんでそんなあほなことするん?メロメロになるとかありえへん!と若いころは思ってましたから。

今日も稽古で、物語中唯一のラブシーンとも言うべき箇所をしました。

少女の手をとって、若い男がその手に接吻するのです。
人数の関係で女の子同士でやってもらっていますが、やはりこのシーンでは二人とも吹き出してしまいます。

そりゃ照れるわなあ、恥ずかしいわなあ、と思い、なんとか二人が恥ずかしくなくやれることを授業後しばらく考えていたのですが、
ふと、(親不知跡の消毒で口腔外科で待っている時に泣き叫ぶ男の子の悲鳴を聞きながら)「笑わせてしまえばえぇやん」と思いつきました。
素直に。若者らしく。子どもらしく。

少女はそんなこと初めてされるからそりゃ照れるだろうし、
若い男は若い男で笑われてしまったら、きっと自分でもおかしなことしてると気づいて笑うんじゃないかと。

愛で人はおかしなことをしてしまうんです。
僕たちだって「君を一生愛する」とか「絶対幸せにする」とか、きっと正気では、素面では言えません。

手に接吻なんて、きっと欧米人でも吹き出すんじゃないかなあ。
でも若い男は、その場面で少女に愛を感じて、ついやっちゃうんだろうな、と思います。
きっと賄いの仕事で手は荒れているのかもしれないし、とても小さくか弱いのかもしれないし。

そこに「愛」があったのです。
少女と若い男の出会いがあり、で、愛も、あったのです。