本の書き方には当然いろいろあります。


何を行っているかと言うと、話の展開の仕方。


あるものは、順を追って読んでいけば理解が深められるもの。

その反対に、最後まで読まないと言いたいことがわからないもの。

中には、どこから読んでもいいというもの。


推理物であれば最後まで分からない方がいいのですが、啓蒙書なんていうのは困りますね。


文章を読んでいて「あぁ、著者はこう言いたいんだろうな」と思っていると違う展開に行ってしまい?

その繰り返しだと結構つかれます。


多分、こういう人の文章は「思い」を発する根源の事象が複雑で、読み手がその背景を読み切でしょう。


作者と読者の間にある心の距離が、読み進めてゆくうちに埋まってゆけばいいのですが、読者がそこまで我慢できるか。


本や映画というものは、観た後にお金を払うことはできません。

映画はそれでも事前の情報が入ってくることが多いので、失敗したなと思っても自己責任として処理できますが、本の場合は新聞や雑誌の書評だけでは判断しにくいものです。


さりとて本屋で全部読む訳にはいかない。

いきおい、タイトルと著者の立場と前書きあたりで決めるしかありません。


その結果、何か言いたいんだろうけれど、言いたいことが分からない本を買ってしまうことが起きてしまいます。


「分からない」ことが、自分が未熟であるが故なのか、文章が難解であるからなのか、もしくは元々まとまりのない放言にちかいものだからか、それは最後まで我慢してでも読んで判断するしかありません。


今読んでいる広告の本。

ひとつひとつはそれらしいけれど、一貫性が感じられないのがつらいところ。


そりゃ、あなたは功なし名を上げた人かもしれないけれど、その背景を見せずして現状を高みから評論するのってどうよ?

そんなこと勝手に言っていればいいだろ!

こっちは、どうにかして現状をよくしようとして身銭を切って本を買ってんだ!


って、気持ちを抑えて、最後には「そうだったんだ。オレもそれを心して進んでゆこう」って思えるように我慢して読むしかないか、、、


じゃ!