在庫の2冊のうち、気軽に読めるエッセイ集に手を伸ばし、先ほど読了。
「本当はちがうんだ日記(穂村弘/集英社文庫)」
42歳にして「今はまだ人生のリハーサルで本番じゃない。」と思う著者。
表4の紹介文にはこのように書かれています。
自意識が強くて身のこなしがぎくしゃくしている。初対面の人に「オーラがない」と言われてしまう。エスプレッソが苦くて飲めない。主食は菓子パン。そんな冴えない自分の「素敵レベル」を上げたいと切望し続けて、はや数十年。
みんなが楽々とクリアしている現実を、自分だけが乗り越えられないのは何故なのか?…
人生はやり直しのきかない本番であることは誰でも知っています。
でも、心のどこかに「今の状況を耐え忍んで努力してゆけば、もっとちがう世界が来るはずだ」と思うことはありませんか。
この本を読んでいる内になんだか自分の意識とシンクロする部分が多くて、気分が悪くなってきました。
何面倒なことウダウダ言ってんだ。こんな奴嫌いだ。
大学時代に友だちとスキーに行った時、ゲレンデのレストランで一瞬自分に瓜二つの人を発見したことがあります。
その第一印象は「怖い」。
自分を客観的に見ることというのは、たとえ外観だけだとしても本当に怖い。
もし、声も一緒で、話し方まで一緒だったらどうしよう、
そして、そいつがこっちを見て「俺はお前のこと知ってたよ」なんて言われたら、、、、
一瞬の内に恐怖が頭の中を駆け巡り、レストランのドアを閉めてまわれ右。その後はもう会うこともありませんでした。
なんでこんな本買っちゃったんだろう。
まさしく自意識過剰なのかもしれません。
でも、巻末の解説文を読んで、少し救われました。
三浦しをん曰く、
私は諦めない人が好きだ。ここで言う「諦めない」は、ただがむしゃらに「ネバーギブアップ!」と叫んで生き続けることではない。「あー、もうだめだ」「ホント最低の軟弱者だ」と己に悪態を吐きつつ、諧謔を武器に低空飛行で生き延びるしなやかさのことだ。そういう意味での諦めの悪さと辛抱強さに憧れる。
なぜなら、正面からがむしゃらに切り込んでも太刀打ちできないぐらい、世界は理不尽と残酷にあふれているからだ。どうにもならない現実が立ちふさがったとき、「もういいや」と、がむしゃらな気力が折れて諦めてしまうか、「もうだめだ」と言いつつも、のんべんだらりとしつこく食い下がるか、生きる姿勢として大きな分かれ道になると思う。穂村さんは圧倒的に後者なのではないかと、エッセイを読んでいて感じる。
最低の軟弱者であっても諦めの悪さと辛抱強さで生き抜いてゆく。
そうだよな、そんな生き方だってあるよな、って思える1冊でした。
なんだか複雑だけれど、
じゃ!