失政を重ねたコモドゥスが暗殺され、近衛隊長のレトーの策略もあり、急きょ首都ローマ担当の長官で66歳のペルティナクスが皇帝に就任することになりました。

この人はもともと北イタリアジェノヴァの解放奴隷の子として生まれました。

解放奴隷が皇帝になるというのも、ローマ皇帝の選ばれ方の面白いところですが、軍務やビジネス感覚に優れ、数々の功績から元老院に属することができた人です。

しかし、紀元193年1月1日就任にあたりマルクス・アウレリウス時代の政治に戻すと宣言し、国政の正常化を図ろうとした彼は、彼を皇帝に推挙したレトーにより、87日後に暗殺されてしまいます。


それは、レトーに十分な見返りを渡さなかったから。


しかもレトーはまたディディウス・ユリアヌスに白羽の矢を立て、そこに対抗してペルティナクスの妻の父フラヴィウス・スルピチアヌスが立ちはだかります。

ここにきて皇帝の価値もあったものではありません。

2人は、集まった近衛兵たちへの祝い金の多寡で皇帝の座を落札しようとしたのです。

結局、帝位を競り落としたのはディディウス・ユリアヌスでした。

元老院がディディウス・ユリアヌスを承認したのが3月28日


しかし、ここで混乱は収まりません。

4月9日には近パンノニア属州総督を務めているセプティミウス・セヴェルスが軍団兵の推挙を受けて皇帝に名乗りをあげました。そしてブリタニア属州総督クロディウス・アルビヌス、シリア属州総督ペシェンニウス・ニゲルも次期皇帝として立ち上がり、ローマは完全に内戦状態に陥ります。


前皇帝の指名もなく、血のつながりもない帝位は軍事力でしか決めることはできず、結局ディディウス・ユリアヌスもローマに攻め込んでくるセヴェルスの勢いに怖気づいた近衛兵に殺されてしまいました。

紀元193年6月1日、帝位わずか64日後のことでした。


それから3年あまり、セヴェルスは皇帝の座に就くもののライバルとの戦いに明け暮れます。

そして、ライバルを蹴落とし、197年に本格的に皇帝として権力を手中に収めた彼は、軍人皇帝として軍備の増強を図るとともに、恐怖政治を行なうことで元老院への圧力を強め、独裁に近い政治をはじめたのです。


軍事力を示すためパルティア王国に攻め込み、ブリタニアにも遠征するなど、無理な戦争を仕掛け、これがローマ滅亡の遠因になるとは、その時は誰もわかりません。

また、8歳になる長男カラカラを次期皇帝にすることを認めさせるなど、これまでのローマの帝政の骨格を全て壊し、皇帝の座を権力と同化させてしまいます。


そして211年。遠征先のブリタニアのヨークでセヴェルスは64歳の生涯を終え、カラカラに帝位は引き継がれます。歴史家からすると「3世紀の危機」の幕開けです。