2世紀後半。
日本はまだ弥生時代です。
五賢帝時代の最後の皇帝マルクス・アウレリウスが世を去り、ここからローマは衰退の道を歩み出します。
アントニヌスもマルクスも、綻びた穴を埋めるために努力は惜しまなかったものの、帝国の行く末を考えてのグランドデザインを持ち得なかったため、時代の変化とのズレが大きくなってゆくのです。
一地方都市であったローマが自衛のための戦いの先に作り上げたローマ帝国。
ここまで大きくなった国家の運営はどうあらねばならないか、それを考え、実現に移すのがローマ皇帝であり、そのためには相当の力が求められます。
力とは、ある時は軍事、ある時は国政運営、ある時は外交と、その局面により求められるものが変わってきますが、未来の絵を頭に描き、それを実現できなければ国家の危機は必ず訪れます。
ローマにはこれまで国家存亡の危機が何回かありましたが、その度ごとに軌道修正を図り、結果として大きくなってきました。
しかし、ここからのローマ帝国はその軌道修正を図れる人材が枯渇してしまいます。
これは規模は違いますが、会社にも言えることのように思えて仕方ありません。
マルクスが登位した紀元171年に生まれた実子コモドゥス。
19歳の皇帝は、皇帝が何たるかもわからないまま、側近に政治を任せ、12年の混乱をローマに残し、最後は愛妾と召使に暗殺されてしまいます。
賢帝と言われたマルクスがなぜここまで無能なコモドゥスを次期皇帝にしたのか。
それは、実子以外を後継者に指名した後の内乱を防ぐ為にほかに策がなかったという説もあります。
しかし、ローマはここから本格的な内戦状態に入ります。
まるでマルクスの遺志をあざ笑うかのように。