ハド リアヌスの足跡は、北はブリタニアから南はエジプト、西はシリアまで、ローマ帝国全域に及びます。

皇帝は、元老院や市民集会を前にした政治の世界での第一人者であると同時に国家の安全を守るための軍の第一人者でなければなりません。

エンペラーの語源であるラテン語は「インペラトール」ですが、これは兵士たちが戦勝の時、自分たちの総司令官をたたえる時の呼び名です。

ハドリアヌスは、帝国のすべての国境でその土地にあった防衛体制を確立してゆきました。

現地で状況を自ら把握し、改善が必要であればすぐに指示を出し、すぐ次の地に赴く行動派の皇帝。


ローマの皇帝は大きく2つに分けることができます。

ガリアの反乱やゲルマンの侵略、パルティアなどオリエント世界の大国との領土戦争に対するために帝国各地を巡る皇帝と、国境の安定により内政の充実に専念する皇帝です。


ハドリアヌスは、基本的には安定した時代の中にあって、戦争に対処するためということではなく「抑止力」を高めるために帝国の全エリアに足を運んだ珍しいタイプの皇帝でした。


政治や国際情勢が安定すると、今と同じことを続けることが「正しいこと」のように社会全体が思うようになります。

その後も続くローマ帝国の平和(パクス・ロマーナ)は、ハドリアヌスによる絶えることのない細かいメンテナンスによって盤石なものになるのですが、彼の功績はそれほど高く評価はされませんでした。


「一貫性のなさでは一貫していた」

気難しい皇帝と評された彼は、自分が登位した際に粛清した4人の将軍のひとりニグリヌスの孫とかねてから目を付けていたマルクス・アンニウス・ヴェルスを養子とすることを条件に元老院の内で信頼のおける10歳年下アントニヌスに後を託すのです。


ハドリアヌスは紀元138年7月10日、62歳、21年の治世の後、世を去り、ローマは五賢帝時代の4番目「アントニウス・ピウス」の時代を迎えます。