ここ最近の「ローマ人の物語」ですが、皇帝ネロ以降目まぐるしく皇帝が変わるため、ひどい時には文庫本1冊の中で3人の皇帝が語られるなど、カエサルのように6冊にわたって書き遺された人にくらべ少々「小もの感」がぬぐえません。
25冊目に入った今回は、ローマやイタリアでなく、初めてスペインの属州出身のトライアヌスから帝位を受け継いだハドリアヌスが主人公。
彼の生涯は、26巻の終盤まで記述されています。
それは、皇帝になってからの治世だけでなく、彼の言動を理解するために子供のころからの話をしなければならなかったことと、皇帝に在位した約20年もの間、ほとんど休むことなく帝国内を巡っていたことへの記述に費やされたからです。
幼いころに父をなくしたハドリアヌスは代父としてトライアヌスの保護の下、ローマに出てギリシャ文化に傾倒してしまいます。
文化を取り入れても、官能的なギリシャ文化に溺れることを嫌った当時のローマ人の中で「ギリシャっ子」と渾名されてしまうハドリアヌスをトライアヌスが良しとする訳にはいかず、彼はまた故郷のイベリア半島のイタリカに戻されてしまいました。
そこでの彼は、鹿や猪の狩りに熱中してしまいます。
官能的なものを嫌う、質実剛健なローマ人の気質からすれば、狩猟は奨励されることのように思われますが、彼の場合は度が過ぎていたようです。
ローマが「敗者をも同化」して、帝国を広げた背景には、ケースバイケースで判断すると言うバランス感覚が備わっていたからだと著者である塩野七生は言っていますが、その度が過ぎたところが引っ掛かり、彼はローマに呼び戻され、政務や軍務につくことになります。
ローマ流エリートコースを進むのは決して楽なことではなく、特に軍務においては現役の兵士を納得させられるだけの技量がなければなりません。
そして、22歳の時に代父であったトライアヌスが皇帝になります。
まさか、同じ属州出身の身内が皇帝になるなどとは思いもよらなかったと思いますが、ハドリアヌスの人生はここで大きな転換期を迎えます。
ハドリアヌスとトライアヌスの年齢差は約20歳。子供のいないトライアヌスでしたから自分が次期皇帝になるという意識がハドリアヌスに生じても不思議はありません。
トライアヌスは身びいきをしない人物でしたが、それでも身近で活躍すれば成果を認めるのは当然のこと。
ドナウ河流域のサルマティア族の侵攻を撃退した彼は、32歳にして執政官に当選します。
その後は、一見順調な皇帝への道のようですが、トライアヌスの臣下であり4人の将軍から反目され、しばらくはエリートコースから外されてしまうような出来事がありながらも、トライアヌスの妻皇后プロティナの後押しもあり、パルティア戦役の際、後方支援としてシリアの属州総督に任命されます。
その後、トライアヌスはパルティアとの戦いが思うようにいかず、失意の中病気で世をさるのですが、その直前に後継者としてハドリアヌスが指名されます。
ローマ史の中では、なぜ死の直前までトライアヌスが後継者を決めなかったのか、という疑問から、実はハドリアヌスは指名されておらず、トライアヌスの死に立ち会った医者がその後不審な死を遂げていることから、皇后プロティナの陰謀という説まで出ています。
しかし、当時実績も十分にあったハドリアヌス。
治世の空白を好まないローマ市民や元老院はハドリアヌスへの帝位の継承を認めたのでした。