塩野七生の「ローマ人の物語」をなぜこんなに真剣に読んでいるかというと、昔の話ではあるけれど決して古くなく、ユリウス・カエサル(シーザー)を筆頭に様々な魅力的な(時には呆れてしまうような)人物が登場するところに惹かれるのかもしれません。


読んでいる内に、「あぁ、こいつはあの人に似ている」とか「こんな時自分だったらどうするか」などと考えている内に文庫本で24冊目に突入してしまいました。


さて、ここに塩野七生の「ローマの人事」という興味深い記述があります。

企業に勤めて言う人にはよく分かるかもしれません。


それはローマ史をリレー競走に似ていると例えた上でのものですが、一部を抜粋すると


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 権力者が権力を保持し続ける要因には、その人に代わりうる人物がいないからやむをえず続投してもらう、である場合が少なくない。言い換えれば、後継者難のおかげで、機能不調に陥った既成の支配階級でもあいかわらず権力を保持しつづける、という状態である。そしてこの結果は、衰退を止められなくなったあげくにやってくる、共同体そのものの崩壊だ。つまり、バトンタッチする者がいないために走りつづけ、ついにはトラック上で倒れて死ぬ、という図式である。


 ローマの歴史は、これとは異なった道をたどったように思う。とはいえ、国家の運営が任務の国勢と体力を競うのが目的のリレー競走はやはりちがう。前者の場合では、次の走者は、今、現に走っている走者自身が選ばねばならない。権力には、後継者人事の決定権も含まれているのだから。ローマの歴史がリレー競走に似ているのは、現に権力をもっている者が、自分に代わりうる者を積極的に登用し育成したところにある。

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己が権力に執着する人に限って、部下や下の人間を育てることをせず、自分中心に物事を回そうとします。

自信や自負心が強い人ほどその傾向は強いようですが、それがどれだけ危険なことなのか、分からないんでしょうね。

その危険を制度で防ごうとするのが「定年」なのですが、これも経営者の思惑でゆがめられてしまうことも多く、特に今のように「百年に一度の危機」と言われる状況では「非常事態だから実績のある俺たちが乗り切らないといけない」といって、一丁上がりのじいさんが復活してきて権力をふるい出すこともあり、社内のモチベーションが一気に下がること甚だしい。


一時の成功体験が永遠に活きるのであれば、なぜローマは滅亡したのか。

新しい成功体験を積み重ねることができなくなった時点で、ローマは衰退の道を歩み出したのではないかと思います。

この本、読んでもらいたい人たくさんいるんだけどなぁ。