障害者団体向け郵便料金割引制度を利用した事件がありました。
関係者は当初これを思いついた時点で、法に触れるかどうか検討した結果、支障ないということで実行していたとのことです。
世の中すべてのことを完全に定義しコントロールできるような法律はありませんから、グレーな部分を検討した結果、問題なしと判断したそうです。
ただ、その時「法律に抵触しない」という判断をしたということなのですが、果たしてそれは許されることなのでしょうか。
ビジネスは絶えず競争とコスト削減を強く求められています。
もし、今回の事件が、「コスト削減のアイディア」として高く評価されていたのであれば、怖いことだと思います。
「アイディアはいいと思ったんだけれどね、見解の相違で怒られちゃった」じゃすまないでしょ。
誰も考えないようなアイディアを出すということと「法の裏をかく」ことがごっちゃになってしまってはいけません。
昨今どこの会社も「コンプライアンス」を声高に叫んでいます。
通常であればそのような手法が通用しないということがわからないはずがない。
なのに、このようなことが実際に起こってしまったのはなぜでしょう。
数年前の某ラジオ局の株買い占め騒動もそうですが、法に触れなければ何でもあり、の国に日本はなりつつあるのかもしれません。
「このはし渡るべからず」の立て看板のある橋を大手を振って渡ってしまった一休さん。
「だから橋の真ん中を歩いたでしょ」
なんて話がありますが、とんちが利いた面白話なのか、単なる抜け道探しのこずるい知恵なのか、ボクは子供のころ、素直にこの話を聞くことができませんでした。
社会の変化が急激に進む今、世の中のすべての事象を法律で完全にコントロールすることはできません。
法律はある事象があって初めてつくられるもので、未来に起こる新たな状況まで想定していません。
と言うことは、つくった先から古くなっているということで、常に法律や規則は改正の要求にさらされているわけです。
では、どうすればいいのか。
やはり、そこに法の精神というものを考える土壌作りが必要なのではないでしょうか。
なぜ、障害者団体向け郵便料金割引制度をつくらなければならなかったのか、そしてその法律による恩恵を享受する人は誰なのか、を考えたら、いくら法的に白だという判断があったとしても、このようなことはしなかったともいます。
大丸の家訓(社訓?)に「先義後利」という言葉があるそうです。
「まず義があり、それによって後に利がもたらされる」
「できるが、そんなことはやらない」と言えることが難しい時代なのかもしれません。