先日、ワッペンの作り直しに3500万円かけていたことに対する石原都知事の定例記者会見記事を新聞で読みました。
東京都のシンボルマーク「いちょう」にデザイン要素として加えた「きれいな水」をイメージしたした波の形をしたアンダーラインが干渉しているのがルール違反ということです。
比較してみたら別になんてことないし、知事が言うようにアンダーラインの入ったほうが気持ちがこもっていていいんじゃないかと思うほど。
今回、記事を読んで多くの人は「お役所仕事」という言葉を思い浮かべたことでしょう。
この「お役所仕事」、辞書によると「形式主義に流れ、不親切で非能率的な役所の仕事振りを非難していう語」ですが、気がつくと一般企業の中にも、それに似たことはいっぱいありますよね。
特に現場から見た本社部門。
現場ではいろいろなことが起きているのに、相談すると「社内にこんなルールがあるのに、知らないなんて!仕方がないから教えてやる。言われたとおりにすればいいんだ!」といった感じの返答が返ってくることありませんか。
これは決して先方も悪意があるわけではなく、「ルール」を楯に説明したほうが楽だからなんでしょう。
その時、安易に「時代と合わないからルールを無視してもよい」というのも乱暴だし、「ルールはルールだから」とか「ここで許すとルールの意味がなくなってしまうから」と言って議論を封じ込めるのも「お役所仕事的」で納得できないものです。
「じゃあ、どうするんだ」ってことですが、今回は、「東京都下水道局」を象徴するワッペンということでブランドマネジメントの立場から考えてみました。
ぼくは「ルールの原点の理解をした上で議論して判断する」のが妥当だと思います。
憲法や法律などは軽々しく改正できるものではありませんが、集団の内規のようなある特定の準拠集団のルールのようなものは、施行から時間が経つにつれ、末端では時代やその時々の情勢に合わなくなってしまうようなことが多々出てきます。
その時は、「どのような背景でそのルールができたのか」「どのような不具合が起こることを想定してルールを作ったのか」というスタートラインの視点を元に、「敢えてルールを堅持するのか」「今、そのルールを変えることでどのようなメリットとリスクがあるのか」の議論が必要でしょう。
その上でどちらを取るのか、責任ある人や会議での多数決で「意思を示して決断」し、そのルールをリフレッシュさせることが、次の世代への引き渡しになると思います。
ルールがなければ、世の中が成り立たないことは誰でも知っています。ただ、想定外の環境から発した事象まではそれに縛られるというのは当然ながら進歩(または進歩する可能性)を阻害します。
このように考えると、今回の出来事は、このような事象に対し、東京都のシンボルであるいちょうのマークを大切にするというルールの原点確認がなく、「いちょうマークは絶対的で、アイソレーション(独立性、近く何も近づけてはならない)を守る」という文面だけが生かされてしまったのでしょう。
担当者はなんらかの処分をされるとのこと。確かにそれだけに3500万円を使っちゃったのは怒られて当然ですが、何より形式主義に囚われて、新しい出来事への対処について「議論できない」「楽して結論を出す」空気が蔓延していたことがこの事柄から明白になってしまいました。
折角イメージを上げようとしたのに、「どちらのワッペンがいいか?」ということより、こんなことで「東京都下水道局」がどのようなブランドか露呈してしまって、本当に残念。喜んだのは2度仕事が入ってきたワッペン屋さんだけですね。
ブランドは大切にしなければなりませんが、「活かしてナンボ」という意識も重要です。
「ブランド論」の多面性をわかりやすく示している事象でした。
みなさんの会社では、会社のシンボルマークの扱いやルールへの対応の厳格さや柔軟性はどうですか。
案外会社のブランドイメージとダブって見えるかもしれませんよ。