日本の支配層 つづき | 雑雑談談

日本の支配層 つづき

日本を支配しているのは日本人ではない 3 
~ 朝鮮支配層の意識(目先の権力維持と属国根性)~
http://blog.nihon-syakai.net/blog/2020/10/10662.html#more



今回は、日本の支配層の精神構造を探るために、
ルーツである朝鮮半島の権力闘争についてしらべてみたいと思います。
特に長期1392年~1910年に渡り、
田布施のルーツと思われる李氏朝鮮の歴史リンクをより、構造化を試みると



【李氏朝鮮の大きな流れ】


1392年、前政権を倒し、李成桂の新政権成立。
まず明に認めてもらう(柵封)。それによって始めて政権として認められる。



対外が安定すると、宮廷闘争(身内同士や関係者を巻き込んでの主導権争い)勃発、
これが繰り返される。



権力を固めるために中央集権化を試みる
そのために官僚制(科挙=試験制度)を取り入れる。(文官と武官の両班)



官僚が制度を作り決済する。ひたすら自分に有利な制度を作っていく。



世代交代を通じて特権化
そして宮廷闘争が、官僚も加わって複雑化(この繰り返し)



■両班 (やんばん)


官僚としての両班は高麗に始まり、14世紀末に成立した朝鮮王朝(李朝)では
官職に就くと土地が与えられ、それが世襲されるようになって、
政治上、同時に経済的にも支配者階級を形成し、村落社会での警察権も付与され、
文化面でも知識人として郷村の指導的役割を担った。



朝鮮の官僚、両班とは ウィキより
王族の次の身分として享受することは享受し、
納税・他国の士族が負うような軍役の義務さえなかったため、
「朝鮮の官人はみんなが盗賊」「転んでも自分で起きない」
「箸と本より重い物は持たない」と兵役免除、刑の減免、
地租以外の徴税・賦役免除、常民に道や宿の部屋を譲らせる権利や
家・衣服・墳墓・祭礼などに常民以下に様々な特権を持って、
住民から金銭も払わずに収奪していた。


30歳になっても笠を被ること(科挙合格)ができない者は12~13歳に笠を被った者から、
「童」と呼ばれて下に扱われた。


イザベラ・バードは科挙を通じて「官」になれば、
君臨と搾取に没頭するのが茶飯事だったとして、
1897年の『朝鮮紀行』で「吸血鬼」に比喩した。


マリ・ニコル・アントン・ダヴリュイは『朝鮮事情』で
「世界一傲慢な貴族階級」として記録に残している。


これら両班は、李氏朝鮮の国教になった儒教の教えのもとに
労働行為そのものを忌み嫌うようになった。
これが「転んでも自力では起きない」
「箸と本より重いものは持たない」と言われる両班の成立である。

引用以上



★朝鮮支配階級の精神構造
 以上より特徴を集約すると大きく二つ。


①属国根性
 常に中国の顔色を窺っている。それがないと属国の王として認められない。


②国内での己の権力維持しか目がなく。ひたすら視野狭窄していく。
 大国に国が認められると、こんどは国の中で果てしない宮廷闘争に入っていく。


③官僚制の試験脳
500年に渡る長期政権、李氏朝鮮は内紛だらけ。



■そこから排除された支配層が日本にやってきた。


彼ら(田布施)は、この精神構造そのままで、日本の明治政権を作り上げた。
上記①~③は、明治以降の日本の政治・国家の構造そのものとも言える。


特に小泉以降の田布施一味の末裔政権(小泉、安倍、麻生、菅も?)が酷い。
とは言え、江戸期や武士の精神構造とは全く違うし、
天皇制もまた違う要素があるように思う。


次回日本の支配層の精神構造について分析したい。

※科挙は日本に取り入れられなかったと言われるが、
明治以降の学制と試験制度は科挙そのもので、
公務員など上記記述にある両班にそっくりになってきている。