日本古代史8 日本と天皇家 | 雑雑談談

日本古代史8 日本と天皇家

ちょっと病にやられてました。


少し間が空きましたが、ひきつづき日本の歴史のついて綴っていきます。





日本の知られざる国の成り立ちを書いてゆく上で、


「天皇」という呼称の由来と意味について理解していかなくてはいけません。


「天皇(てんのう)」とは、もとより、日本語(大和言葉)ではありません。


古代中国の「天の神」の普通名詞「天皇大帝」から取ったものです。


この「天皇大帝」が「北極星」を意味することから、中国の皇帝と対等、


かつ「国家(宇宙)の中心」という立場を誇示するために、


7世紀、推古天皇のころより「天皇」と呼ぶようになったのが始まりです。


正式名称は「天津日嗣皇命(あまつひつぎすめらみこと)」とお呼びします。


「天の神から代々続く統治の使命をいただくお方」というほどの意味です。


「すめら」とは、「ばらばらなものをひとくくりに連ね束ねる」という意味の


「すぶ」と同根の言葉で、現代でも統治することを「統べる」といいます。


物理学的にいうなら「求心力の中心」ということになるのです。


「すめら」には、「求心力の中心」「結び目の中心」という意味もあり、


人体でいえば「心臓」、太陽系でいえば「太陽」に当たるでしょう。


すなわち、「すめらみこと」とは「国民の一人一人を玉と見立て、


連ねて日本民族という首飾りにする<芯糸>たるを使命とされるお方」という意味です。


記紀にある、無数の勾玉を連ねた「五百箇御統玉(いおつみすまるのたま)」の首飾りは、


この天皇と国民の関係をたとえたものであると思われます。


天皇がいなければ、日本民族は、糸の切れた真珠のネックレスのように、


ちりぢりバラバラになってしまう可能性大なのです。


『記紀』(神代巻)では、西暦紀元前660年の初代神武天皇の即位より前の時代は、


「神代」と呼ばれています。


一説には、そこで活躍する神々は、肉体人間の状態と非物質的な神霊の状態を、


自分の意志で自由に選択することが出来たと言います。


いつでも好きなときに、肉体人間となり、神霊体となって、


神霊世界と現世を往来する「半神半人」の時代が非常に長く続いたのでしょう。


また、それと比例して、空気や水や土など、物質そのものの濃度や密度も、


自由に変える事が可能であったと思います。


もちろん、伊邪那岐・伊邪那美、天照大神、素戔嗚尊などが登場した、


神代でも非常に古い時代には、


「肉体人間」の要素はほとんどなく、地上の様相もごくごく希薄な


物質化だけだったという説もあります。


後述する「三種の神器」なども、そうした「物質化が希薄な時代」に


造られたものなので、今日の金属や宝玉のような確固たる物質ではなく、


もっと霊性の高いいわば「剣・鏡・勾玉」の形状をした


「神霊エネルギー体(神々の想念が実体化したもの)」だったかもしれません。


「神代巻」には、天と国土と海、動植鉱物の神々が出そろった直後から、


早くも天皇につらなる記述が出て来ます。


それは、日本の国土を統治するため、皇室の祖先神とその周辺の神々が、


高天原から人間として地上に降臨する「天孫降臨」という部分です。


非常に特異で神秘的なくだりだが、神代も長く続くと、


時間とともに徐々に神性の軽快さが失われ、


神々も「半神半人」状態から、より重く固い「人間化」の段階に


入ったらしい事が分かります。


しかし、「天照大御神」は別格で、抽象的な神概念ではなく、


現実の「太陽」のことを指して来ました。


古来、日本には朝日に柏手を打って拝む習慣があり、今でもお年よりが、


そういう「日拝」をしている姿をみかけるが、


純朴さにほのぼのとした気持ちにさせらます。


日本神話では、太陽だけでなく月も地球も、


水素やヘリウムや星間物質が凝集してできた、「意識なき物理天体」ではありません。


「宇宙空間に現象化した神々のご神体(天体や物質の形をした人格神)」を意味し、


人間の肉体に魂・意識があるように、


太陽にも「太陽意識(太陽神の魂霊)」があると感じていたからでしょう。


古神道家の中には、太陽光線は、光学的光線のみならず、


高天原の「神霊波動の光」でもあると説く人もいます。


人間が、太陽球を生きたご神体として、本気で感謝して拝めば拝むほど、


「太陽光線中の神霊光」を受けやすくなり、


その神威と福徳により、健康と幸運を授かると言うものです。


明治以前より「日拝行」というのがあり、毎朝、


欠かさず朝日を拝んで3ヶ月以上続ければ、運勢が好転すると言われています。


人間の心身に、太陽光線が重要であるのは事実です。


ビタミンDとカルシウムの関係から、


日光不足になると骨に異常が生じる「くる病」というのが、


今より栄養状態のよくなかった時代にはあったし、


太陽光線がないとカルシウムができないので、大変に困ったことになります。


心臓の拍動にはカルシウムが不可欠なので、太陽光線をあびないと、


人体の太陽ともいうべき心臓にも悪影響が生じるのです。


太陽の人体に与える生理的な健康法については、


西洋でも「ヘリオテラピー」というジャンルがあるのをご存知でしょうか。


カルシウム不足や体内時計の狂い、


うつ病などにも太陽光線の不足が関与していることが分かっています。


その太陽の御神霊たる天照大神は、『記紀』において、天皇家の祖先に対して、


地上統治にあたって大きく分けて、三つの御命令をお与えになったと言います。


同時にそれは、皇室の存在理由でもあり、「三大神勅」(後述)と呼ばれています。


これを「三種の神器」(後述)「高天原の神聖な稲の種」とともに受けて、


邇邇藝命たちは地上に「降臨(人間化)」したのです。


このとき、邇邇藝命は「真床追衾(まとこおうふすま)」という、


胎児を包む「羊膜」のような非常に繊細な、


半霊半物質的な布膜に覆われて降りたといいます。


これは、今日的に表現するなら「神霊世界のオーラ」とでもいうべきものでしょう。


物質化を起こすほど、きわめて強い霊的力場に包まれた胎児的な状態で、


神霊世界から地上に「人間化(誕生)」したのだと感じます。


実は、この「真床追衾(まとこおうふすま)」という名前は、


現在に至る歴代の「大嘗祭」の御祭事でも、


核心部の秘儀に必須のアイテムとして登場します。


初代・神武天皇は、この邇邇藝命の曾孫にあたりますが、


随行して降臨した神々の子孫もまた、


その後、有力氏族の祖先となっている事から、厳密には、


天皇だけが「天孫」ではないのです。


彼らは、伊邪那岐・伊邪那美の両神が生んだカミガミの子孫、


すなわち、素戔嗚尊の子孫の大国主尊を中心に


「国津神」として地上に住んでいた神々と婚姻関係を結んだ。


彼らの子孫たちが、全国の「地方長官=国造」の家系の祖先となって行ったのです。


こうして、全国の「国造(くにのみやつこ)」の家系の祖先と、


分家や結婚を通じてあまたの氏族をなした結果、


今日の日本人の多くの祖先となっています。


つまり、天皇の祖先神と随伴神の子孫が、


今の日本国民の祖先ということになるのです。


同時に百二十五代を数える歴代天皇と、過去のすべての皇族の血筋や


皇族から臣下になった方々の血筋までふくめると、


現代の日本人は濃度の差こそあれ、元をただせば皇室・神々の血脈に


たどりつくといってもいいのかもしれません。


(たとえば、武士の清和源氏、桓武平氏など、


祖先が天皇までたどれる家系も多いのです。)


日本の天皇家の歴史は、初代の神武天皇から数えて現在の今上天皇まで


一二五代、二六六一年にもおよびます。


考古学的に証明できる大和朝廷の成立から数えても千七百年以上も続いており、


諸外国の過去・現在の王朝を、はるかにぬきんでた歴史と血統を


保持する世界最古の王家であります。


しかし、なぜ過去二千年にもわたって、


時の権力者たちにも滅ぼされることなく、南北朝の分裂や、


戦国時代の動乱、江戸幕藩体制の圧迫を乗り越えて、


明治維新で復活をとげられたのか。


また、太平洋戦争であれだけの敗北を喫しながら、


なぜ亡命も皇室廃絶の憂き目にもあわずに、


現代に皇統が継承されているのか。いまだに、真相の多くが謎に包まれています。


よく考えて見ると、日本が島国であって、


外国の侵略や干渉を受けにくかったという点を割り引いて考えても、


皇室存続には歴史の展開点で、かなりの部分「奇跡的」な様相が見られますね。


近代でいうなら、鎌倉時代以降の「武家政権」の


七百年の歴史を「大政奉還」でひっくりかえし、


しかも鎖国体制から一挙に四十年たらずで開国西欧化をなしとげ、


日清日露戦争で勝利し、


列強の仲間入りを果たしたのは、明治天皇あってのことです。


また、太平洋戦争で敗北したのち、昭和天皇はマッカーサーと会見して


「戦争の責任はすべて私にある、自分の運命は、いかなるものであろうと、


これ以上民を苦しめるわけにはいかない。ここに天皇家の財を記したものがあるゆえ、


あとは貴下の判断にゆだねます」とのお言葉を発された。


マッカーサーは激しく感動し、その後の皇室への処遇を一変させている。


このような国家元首は、外国には(日本の歴代摂関・将軍・首相たちにも)


めったにいない。


どちらかと言うと、自分たち王家だけ亡命することを求める。


だからこそマッカーサーは、その後、昭和三十九年に


『マッカーサー回想記』で当時の天皇との会見のありさまを述べ、


その回想記の英語の原題を『われ、神を見たり』と付けたのである。


マッカーサーは昭和天皇の姿に「私は神を見た」と、二十年経っても述べているのだ。


さらに、「東京裁判(極東国際軍事裁判)」の裁判長ウェッブは、


昭和五十年に日本の雑誌の取材で


「天皇についてどう思いますか」という問いに、


「神だ、あれだけの試練を受けても帝位を維持しているのは、


神でなければできないことだ」と答えている。


戦勝国で裁いた側の重鎮たちが、敗戦国で裁かれた側の国家の長を、


宗教や思想や立場の差を越えて「神だ」と賛嘆する。


これは政治的な思惑や駆け引きのレベルでは説明できないことだ。


また、大正十一年に来日したアルバート・アインシュタイン博士(彼はユダヤ人である)も、


次のような「世界の盟主」というメッセージを残している。



★近代日本の発達ほど 世界を驚かせたものはない。


 この驚異的な発展には 他の国と異なる何ものかがなくてはならない。


★果たせるかなこの国の 三千年の歴史がそれであった。


★この長い歴史を通して 一系の天皇をいただいているということが、


 今日の日本をあらせしめたのである。


★私はこのような尊い国が 世界に一ヶ所くらいなくてはならないと考えていた。


 なぜなら世界の未来は進むだけ進み、その間人類はまことの平和を求めて


 世界的な盟主を挙げねばならない。


★この世界の盟主なるものは武力や金力ではなく、


 あらゆる国の歴史を抜き越えた最も古くまた尊い家柄でなくてはならぬ。


★世界の文化はアジアに始まって、アジアに帰る。


★それはアジアの高峰、日本に立ち戻らねばならない。


★我々は神に感謝する、我々に日本と言う尊い国を 作っておいてくれたことを。



彼がユダヤ人であるということはかなり重要なことなのです。


初めての方は意味がお分かりにならないかもしれませんが、


『日ユ同祖論』が関わっているのです。


『日ユ同祖論』とは、数千年前に遡って、


日本人と古代のユダヤ人とが大きく関わっていたとする説です。


日本と古代ユダヤの伝統文化、風俗習慣などが良く似ていること、


また伊勢神宮の参道の石灯篭に残っているダビデの星(六芒星)など


挙げれば切りがありません。


最初にこの説を唱えたスコットランド人、N.マクレオド氏は、


「日本の天皇家がイスラエル十二氏族の長であるヨセフの子、


エフライムの子孫であり、天子の称号を受けるにふさわしい権利を持っている。


そればかりか旧約聖書の『エゼキエル書』に預言として記された、


やがて現れてユダヤ民族を救済するであろう「世界の王・ダビデ」は、


エフライムの子孫である日本の天皇家から出るであろう」という予言を残したそうです。



つづく