古代日本史7  日本人とユダヤ人2 | 雑雑談談

古代日本史7  日本人とユダヤ人2



みなさんは、アーサー・ケストラーと言うユダヤ人を知っていますか?


彼は、ハンガリー生まれでジャーナリストととしても、


科学者としても名を馳せた人物です。


そのケストラーが残した書物に「ユダヤ人とは誰か(原題第13支族)」があります。


この書物ですが、題名を見れば分かるとおりユダヤ人とは何者なのか?


というテーマで書かれていますが、


どこにでもあるような題名とは裏腹に、とんでもない問題作なのです。


何が問題作なのかと言えば、余りに衝撃的な内容ゆえに


1983年にロンドンで彼が服毒自殺を遂げるに至った事でも


この書物がただものではないことを伝えています。


(彼は殺された可能性が高いと思います。)


みなさんに、著名なユダヤ人を挙げてくださいと言ったら、


どんな人の名前が挙がるでしょうか?


アルベルト・アインシュタイン、カール・マルクス、ヘンリー・キッシンジャー、


かのフロイト。


まだまだあるでしょう。


全人類に対してのユダヤ人の割合からしても、歴史に名前を残している人に


ユダヤ人が多い事は実に驚くべき事です。


しかし・・・


いま名前を挙げた人物の全ては、実はユダヤ人ではありません。


言い方を変えると、本当のユダヤ人ではないのです。


彼たちは、すべて白人です。


本当のユダヤ人は、白人ではありません。


現に、旧約聖書に登場するユダヤ人には白人は1人もいません。


モーゼ・ダビデ・ソロモン・そしてイエスキリストさえも非白人です。


肌の浅黒い人達でした。


ヨーロッパの宗教がや、今日目にする多くのキリスト画は、


金髪で青い目ですが全くのデタラメです。


中世で有名な、コロンブスやノストラダムスが非白人のユダヤ人です。


ユダヤ社会では、白人系のユダヤ人を「アシュケナジー系」、


非白人系のユダヤ人を「スファラディー系」と分けています。


先にあげたアーサー・ケストラーは、この世の中のユダヤ人には


どうして白人系のユダヤ人が多く存在しているのか?


これを研究したのです。


彼自体が、アシュケナジー系ユダヤ人だった事も背景にはあると思われます。


彼によると、白人系のユダヤ人が大量に登場してくるのは


8~9世紀を境に突然登場してきた事を突き止めます。


つまり、アシュケナジー系ユダヤ人とは?


ユダヤ教に改宗した民、つまりユダヤ教徒がユダヤ人と


呼ばれているに過ぎないのです。


簡潔に言えば、祖国無きハザール人ユダヤ教徒=ユダヤ人と言う事です。


アーサー・ケストラーは、この結論に到達してしまったのです。


つまり、旧約聖書に出てくる民族としてのユダヤ人は有色人種なのです。


旧約聖書において生き残ったとされるノアの家族は、


ノアの息子である「セム」「ハム」「ヤペテ」であり、現在の人類は全て彼らの子孫です。


ハムは黒人系、ヤペテは白人のアーリア系、そして、セムはその他の有色人種となります。


世界をこの3つの人種に大別するなら、ユダヤ人はなんと日本人なのです。


失われたユダヤ10支族の一派「秦氏」から発したセム系の人種になります。


そして、ユダヤ人の祖と言うとアブラハムになるわけですが、


このアブラハムは紀元前2000年にはユダヤ人とはなっていません。


アブラハムは、創世記によるとアブラハムから発して、


イスラエル人・ユダヤ人・アラブ人が生まれる事になっている事から、


アブラハムはユダヤ人とアラブ人両方の太祖と呼ばれているのです。


(ここでのイスラエル人については後記参照)


そして、このアブラハムはヘブライ人(さまよえる人)と呼ばれていました。


太祖アブラハムには、イシュマルとイサクという名前の子供がいました。


旧約聖書によれば、神の預言者の系譜はアブラハムからイサクの方へと


受け継がれてゆきます。


そして、イサクから子供のヤコブへ。


このヤコブですが、ある夜に神の御使いに出会い格闘を始めます。


結果、ヤコブが勝ち、御使いは「お前の名はヤコブではなく、


これからはイスラエルと呼ばれる。お前は神と人と闘って勝ったからだ」と


祝福されます。


以後、ヤコブはイスラエルと名乗り以後彼の子孫は全てイスラエル人と称しました。


これが、現在のイスラエルの名前のルーツになっているのです。


そして、このイスラエルには12人の息子がいました。


これが、ユダヤ12支族になるわけです。


つまり、ユダヤ人とユダヤ教徒とは雲泥の差があると言う事。


そして、ユダヤ人は、とどのつまり我々日本人なのです。


そして、1番覚えておいて欲しい事は「ユダヤ人の太祖である、


アブラハムはヘブライ人であると、


シュメールの粘土版にしっかりと残されている」という点です。


(シュメール人については後日詳しくします)


もうひとつ、日本では旧暦の5月5日に、大山祇神社で行われる「御田植祭」


という祭りがあります。


このとき、「一人角力(ひとりすもう)」という奇妙な儀式が行われます。


二人で相撲をとるのではなく、ひとりで行うのです。


実は、相手は神様であり、目に見えない相手に相撲をとるので、


ひとり相撲と呼ばれるのです。


前記事で書いた、イスラエル人の祖といわれるヤコブはあるとき神の御使いと格闘し、


最後に勝って「イスラエル」という名前をもらったと書きました。


つまり、これは神の御使いと人間との相撲と言う意味になり、


『旧約聖書』に載っているのです。


今でこそ八百長(意味あり・既に書きました)だのと言われていますが、


相撲が日本の国技なのはここから来ているのです。


賀茂氏は裏神道の儀式の一切を取り仕切る祭祀人の役割をしています。


したがって、あえて秦氏とは名乗らず、賀茂氏、


または鴨氏の名称を使っているとも書きました。


賀茂氏が裏神道の祭祀人の役割を果たしていたとすると、


賀茂氏は全国の神社に絶大な権力で支配していたことになります。


この間の事情を物語るあることばがあります。


それは、『鴨ねぎ』ということばです。


通常は、鴨鍋をしようと思ったら、鴨がねぎを背負ってやって来た


という事をさすのですが、意味が違うのです。


「鴨」は鴨氏のことであり、「ねぎ」は禰宜。


(禰宜(ねぎ)とは、神職の職称(職名)の一つである。今日では、一般神社では宮司の下位、


権禰宜の上位に置かれ、宮司を補佐する者の職称となっている。)


鴨氏が禰宜を背負って来る。


これは鴨氏が全国の神社に鴨氏の息のかかった禰宜を


送り込むという意味なのです。


いくら賀茂氏といえども、最初から全国の神社を仕切っていたのではなく、


神職の人間を強制的に送り込んで、


もともとあった神社を次々と乗っ取っていったのです。


(大和から日本への移行)


これに従わない場合は、おそらく武力をもって神官を追い出し追放するという


こともやったと思われます。



つづく