日本古代史1 | 雑雑談談

日本古代史1

ひょんなことから、日本のこと、日本人のこと、9.11のテロのこと


などを調べているとかなり時間がたってしまいました。


結構おもしろい展開になってきましたのでアップしていこうと


思います。まー、息抜き程度にお付き合いください。


内容はたくさんの方の資料を分かりやすくまとめましたので


あくまでも実際に私が細かく調べたわけではありません。


編集者と思って下さい。突っ込んだ質問には答えられません。


ご了承ください。


話は、古代日本史からユダヤ、アメリカ、地球外生命体、UFO


など多岐にわたりますが、長いです。


それではまず、あなたはいったい誰なのか?のテーマから


行きましょう。





日本の古代史には、4世紀の謎というものがあります。


紀元2~3世紀の中国といえば、三国志に見られる様に、戦国時代です。


魏、蜀、呉の3国が覇権を争い、


お互いに一進一退を続けていた時代になります。


そして、結局は漢王朝を継承する魏が勝利して、三国志の時代は終ります。


三国志、史書の中にある「魏志」には、倭人の条と言うのがあるのですが、


これは邪馬台国の女王、卑弥呼は魏とかねてから親交を深めていた証です。


これが世に言う「魏志倭人伝」になります。


この卑弥呼が死んで、男王が何人か立ったのですが、


国内は反乱し情勢が不安定になりますが、


女王台与が即位すると混乱は収まります。


そして、その頃中国には異変が起こり、西晋が魏を滅ぼして天下をとります。


台与は直ちに西晋の皇帝に遣いを派遣して親書を送るのです。


これが266年のことです。


この記録こそが邪馬台国として歴史に残る最後の記録となります。


そして、それ以後中国の歴史書に「倭国」の文字はありません。


つまり邪馬台国は歴史から消えたと言う事です。


そして、再び倭国の名前が登場するのは5世紀になってからです。


その間ちょうど100年間、倭国の歴史はスッポリ消えてしまったのです。


3世紀までの記録はあるのですが、次に記録があらわれるのが


5世紀ということですから、


世紀の記録が消滅してしまっているという事になるのです。


しかし、これだけなら「謎の4世紀」とは言いません。


それは、もっと大きな謎があるからです。


具体的に言えば、3世紀までの日本と5世紀以降の日本とでは、


文化が劇的に変わってしまっているのです。


3世紀までの日本は小さな国単位の農耕文化だったのですが、


5世紀以降の日本は中央集権的な古墳文化へと姿を変えています。


そのため4世紀を「謎の4世紀」と呼ぶのです。


一体4世紀に何があったのでしょうか。


紀元4世紀に最も変化したのは墳墓なのです。


それまでは、全長が数メートルから大きくても十数メートルほどの


墳丘墓が中心だったのが、


5世紀には一気に100メートルを超える古墳が出現しているのです。


形も円墳、方墳などといった単純なかたちから、


鍵穴の形をした前方後円墳が主流となっています。


第16代の仁徳天皇の陵墓は、全長が475メートルもあり、


世界的に見ても、面積ではエジプトのピラミッドや


中国の秦の始皇帝陵墓をも上回る超巨大墳墓なのです。


これらの巨大な古墳をすべて発掘すれば


古代史の重要な手がかりがつかめますが


巨大古墳はそのほとんどが古代天皇の陵墓に指定されていて


手が出せません。


それもあって、4世紀は一層謎につつまれたままです。


しかし、天皇陵墓に指定されていない古墳からは


いろいろな事実がわかってきています。


その特徴は次の2つです。



1.農耕儀礼で使われるものから黄金の装飾品


2.馬具、鉄製の鎧、矢尻が多数出土している



3世紀までの出土は、農耕儀礼で使われる鏡、勾玉、剣が中心


だったのですが、巨大墳墓からは黄金の装飾品、


王冠、首飾り、腕輪、指輪などのきらびやかな品が多く出土しています。


もうひとつ特徴的で注目すべきことは、馬具が多く出土していることです。


馬面の冑(かぶと)、鞍、馬の埴輪など馬に関連した品々が


数多く出土していることです。


魏志倭人伝によると、倭国には、牛や馬などの家畜は存在しない


と明確に記されているのです。


それなのに、なぜ、馬に関する品が出てくるのでしょうか。


馬だけが海を渡って日本に来るはずはありませんから


人間も一緒に来ているのです。


それに巨大墳墓の数々の副葬品は朝鮮半島のものに


とても似ているのです。


ここで、ひとつの仮説が立てられます。


朝鮮半島の何らかの勢力が馬と共に九州に侵攻したちまち九州を平定、


しかるのち畿内に攻め上ったのではないかという仮説です。


つまり、日本は朝鮮半島からのある勢力に征服されたという説です。


この仮説を多くの資料から裏付けたのが、東京大学名誉教授である


江上波夫氏が主張する「騎馬民族征服王朝説」なのです。



・・・・つづく