競鍛講義 2LAP
日時:2013年1月26日 厳冬の候
※構成等詳細は小西先生の競鍛講義録1LAP参照
<講師プロフィール>
田中康彦
生年月日 1972年9月26日
身長 168cm
体重 80kg
近畿スポーツランド代表、そして近畿スポーツランド杯の運営代表者であり、同レースを日本屈指のミニバイクレースへと成長させた立役者
レースへの参戦経験は無いが監督としてチームキンスポを立ち上げ、ミニモトSTクラスへの参戦経験を持つ
<田中康彦の競鍛講義>
さて、悪い方向の参考にしかならないのじゃないかと心配に思うのだけれども、タミケンがどうしてもって言うので恥ずかしいけれど田中康彦の話をさせてもらうね。
近畿スポーツランド※以下キンスポ、は不動産屋をやっていた母親が成り行きで作ったんだけど、当初から運営に関わっていた訳ではないんだ。
キンスポに関わるまでもやっぱり色々ダメ人生を送っていてね、まずはそこから。
高校を卒業してから1年程就職する訳でもなく進学する訳でもなく、渡米したりして過ごしてたんだけど。
実家を継ぐ為に知り合いの不動産屋へ修行に出て、2年間だけ修行してイキナリ独立したんだ。
その修行の2年間は意欲があった訳でもなく、ただ言われた通り働いていただけでさ、だからいきなり一人で不動産屋して金を稼ぐぞって言っても何をすれば良いか分からないし、教えてくれる人間もいなかったので恥ずかしい話、冗談でもなんでもなく寝てただけだったんだ。
朝起きて実家から事務所に通勤してテレビを付けて寝てるんだ、そして昼ごはんを食べて寝て、おやつを食べて寝る、そんな生活を2年間続けたよ。
そして、24歳の時に行きつけのスナックのママと結婚する事となったんだ。
でっ、このままじゃアカンッアカーンン、って言う事で働きに出ることになるんだ。
そこから31歳まで12社の不動産屋を渡り歩くんだ、一週間で辞めるとか普通でね、本当に使えない男だったよ。
そんな最中、本気になって頑張ったって事もあったかな、それは27歳の時1歳の子供が障害を持っているって事が分かって精神的にメチャクチャ追い込まれたんだ、ダメな俺でも色々な思いが湧いてさ、お金を稼ぐしかないって結論をだした時にさ、自分の中で何かが変わったんだ、つまり状況に追い込まれたって事で一度火が付いて、そして思いが定まったよ。
そこまで鳴かず飛ばずのダメ社員だったんだけど、その時に人生で初めて頑張って成績がトップになったり出来なかった仕事を覚えたり、休みなく働きお金を稼い頑張りは3年程続いたかな、ただ、周りや自分すら見ずに突っ走っていたので当然と無理が生じてさ、人との争いごとや体の不調へとつながって、こりゃダメだ一旦休もうって事で仕事を辞めたんだ。
そして30歳の失業期間中にキンスポを訪れる事になるんだ。
その当時のキンスポはレースもなかったし日曜に数台だけの走行とか続いていてさ、母親最後の負の遺産みたいなものだったので、実は処分する事を決めていたんだ。
だから下見のつもりで久々にサーキットへ足を運んだんだけど、そこで出会ったんだ、タミケンの師匠、安田義隆さんにさ。
当時バイクに一切興味持っていなかったんだけど、本当に何となく練習走行を重ねるバイクを見てたんだ。
そこで綺麗に、本当に綺麗に周回を重ね戯れる2台のスクーターに目が止まってね、それがスクータの日本一の覇権を争っていた安田義隆さんと藤永優さんだったんだ。
素人ながらにこれは凄い事をやっているのじゃないだろうかと思ってね、素直に感動して興味が湧いて休憩をしている安田義隆さんに声をかけたんだ。
その瞬間が今のキンスポが始まった瞬間と言っても良いのじゃないかな。
そこから再建を決意して、サーキット設備の復興に着手して、レースを復活させて、色々な人の助けを借りて本当にダメな俺でも今までやって来れたんだ。
ただ今まで続けてこれたってのはやっぱり好きになってしまったからだと思う、好きになったから頑張れたんだろうね。
まあ、そんな感じで何もやりきらず逃げまくったダメ人生だったからこそ、まだ生き残っているって事がさ、何かの参考になれば幸せだな。
<田中康彦競鍛の言魂、一問一魂!>
自身を磨く事でやって良かったなと思えることは?
「ダメだった自分だからこそ、逃げ続けた自分だったからこそ経験できた事はさ、今になって思うと自身を磨く事、人生のプラスには絶対になってるって思うかな」
尊敬する人は?
「まずは母親、今も商売の師匠だよ。
敏腕に働く母親で母親らしい姿は見たことなかったけど、判断力や商売の匂いを嗅ぎ分けるセンス、そして男気は本当に尊敬できる人なんだ。
二人目はご存知の通り安田義隆さん、右も左も分からないサーキット経営初心者な男に対してさ、本当に真摯に向き合ってくれてサーキットのあり方考え方、レースの骨子、果ては書類の書き方まで教わった恩人だよ、努力家で自分を高めて人まで高めてしまうスゴイ人だよ。
三人目はこの小西良輝さん、チャンピオンだからとか速いからとか、ロードレーサーの小西良輝に目が奪われがちだけど、実は出会ってから数年はただのバイク好きな速いオッサンと思っていたんだよ(笑)。
そう思わせてしまうのは自分はまだまだって言う向上心からの謙虚さでね、そんな控えめな人がまさか全日本チャンピオンだとか想像も付かなくて、初めて知った時は衝撃的だったし、それは積み重ねられた経験と苦労の成せる事だって、すぐに虜になっちゃったんだ。
そして何よりもさ、ミニバイクの持つ本質って言うかスゴさを理解してもらっているって言うスゴイ人なんだよ。
しかもそれを圧巻の2年連続チャンピオンをとる事で証明って、私の本物のヒーローなんだよ」
あなたにとっての競鍛環境を1つ上げるとしたら?
「それは魚釣りだね、競う相手は自然、そして自然を相手に考えて考えて、トライして失敗してトライして、心技体が一緒になって初めて自然が応えてくれる、それが釣りなんだ、考えてみたら確かに釣りから得たものが日常で役に立っている事も多いかな」
サーキット運営で得たことは?
「人の優しさ、本来人のあるべき人間性を教えて貰ったことかな、サーキットに訪れる人の大半は趣味で訪れるんだよね、だから社会で押し殺したりする人間味臭い良い面にいっぱい触れれるんだよ
そして、頑張ってる人の嬉しさだとか悔しさを一喜一憂で共感させてもらって思いを分けてもらえる、疑似体験出来る、そんな経験はサーキットだから獲れる感動で、やってて良かったって思える事だよ。」
今までで一番嬉しかった事は?
「チームキンスポを立ち上げてレースへトライした事、それが一番楽しかったし嬉しかったよ、ライダーとしてではなかったけどチームの一員として走れたし、何よりもレースを感じてレースを知る事が出来たんだ」
<人間、田中康彦の肖像>
康彦先生は私にとって人生の先輩であったりもしますが、何よりも気の知れたお友達です。
始め競鍛講師のお願いをさせてもらった時「なぜ俺が?不適格だよ、ダメ人間代表だよ」と拒絶されたりしました。
知人や友人にお客さん、社長の人間性を知る者は「なぜ小西先生に並んで康彦先生なんだ」「どこにでもいる普通のオッサンじゃないか」と思われるかも知れません。
しかし、今から人生の土台を築いて行く事となる私達二輪塾生。
そんな後人にとっては自称「凡人で敗者」康彦先生は、「勝利の道筋を知る」小西先生と並んで、もしくは小西先生以上の得難い経験を伝えていただける先人なのです。
「成功したことがない、失敗しかしたことがない、だから失敗って事がわからないんだ」
と胸を張ってダメな自分、負け続けた人生経験の数々を語る康彦先生。
それは私達二輪塾生にとっては等身大の苦悩であり、康彦先生の飾らない言葉だからこそ胸を打つのです。
だからこそ今後、必ずや経験する挫折の時、康彦先生の話は「希望の光」として輝きを放ち、「共にやって行こうぜ」と優しく笑いかけてくれるはずなのです。
しかし、そんなダメダメだと語られる話の中で一貫していたと感じたのが、負け続ける自身を常に認め、そして、後ろを向いた後、いずれ、必ず、前を向き直して「とりあえずやって行く」ことでした。
ここにいくら康彦先生が謙遜しても隠せない偉大な成長哲理、負けない秘訣がありました。
人の集まる場所であるサーキット、その運営を行う代表者には明確な意思表示が必要で、私には想像も出来ない苦悩や不安と日々戦っているはずです。
さらに社員を抱える経営者として責任の重さを受け止めながら「とりあえずやって行く」康彦先生。
照れくさそうに笑いながら、徹して控えめに語る康彦先生はちょっぴりカッコ良かったです。
そして、そのドンと構えた大きい背中は十二分に偉大な先人のものであり、私達の人生に大きな道しるべを与えて頂きました。
<感謝の感想> 山下 七
キンスポ社長の言葉で心に残った一言などは?
努力したこと。
そしてそれは結果がついてくると思った。
キンスポ社長への感想
かなり苦労してきたんだと思った。
<感謝の感想> 鍔田のぞみ
ん~、期待を裏切らない面白い話の中にも、人生の転機となるポイントポイントにゎ必ず自分の支えとなってくれる人がいることに気づかされました(・ω・)
<最後に・・・・>
ここまでお付き合い頂いた人生を生き抜く、いえ、何とか生き残っておられる偉大な先人達にお願いいたします。
恥ずかしがらず、勿体がらず、機会をつくって本気で、心を持って本気で、身近な後人へ語ってもらえませんか?
あなたの成功体験や失敗体験は紛れもない本物です、そんなすべての経験は本気の言葉となった瞬間、今は若き後人達、心の奥深くに刻まれる素晴らしい教科書となるんです。
だから、それは未来への最高の贈り物であり、力の継承だと思うのです。
以上、競鍛講義2LAP、大西二輪塾生人間競争力の礎を頂いた田中康彦先生へ一同、礼。
ありがとうございました。