花ワサビとスミイカのお浸し。逆転。 | 酒菜・和食 下北沢「金兵」(キンペイ)

花ワサビとスミイカのお浸し。逆転。

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ワサビの花。「花ワサビ」と呼ばれます。
まだツボミの状態ですが、いずれ白い花をつけます。
近づくと
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ツボミの隙間から微かに白い花弁がのぞいているのが分かりますでしょうか。
これをサッと湯に通して刻み、お浸しにします。
茎と葉と花というかツボミの部分ですが、ワサビ特有のピリッとしてツーンとくる爽やかな刺激があります。
刺身用のスミイカとそのゲソを切り、軽く和えたのがコチラ。
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吟醸香のきいた冷酒とか余韻や膨らみのある生酒の後口をキリリと引き締め、また天ぷらなどの箸休めにもいいと思います。


全く関係ない話ですが、ここで論理学の問題です。

①「AならばBである」が正しいとき
②「BでなければAではない」は必ず正しくなります。
この①と②の関係を「対偶」といいます。
例えば、ある生き物がいるとして、「それがマグロであれば、それは魚である」が正しいとき「それが魚でなければ、それはマグロではない」も正しい、ということです。
これを①「A⇒B」、②「¬B⇒¬A」と表します。
逆に「XでなければYではない(¬X⇒¬Y)」のときは必ず「YならばXである(Y⇒X)」が成り立ちます。

ところで、世の中には因果関係というものがあると言われております。
物事には原因がある、ということで、例えば「石を投げたから窓ガラスが割れた」というのは「石を投げた」が原因、「窓ガラスが割れた」が結果です。
こういった場合も「AならばBである」つまり「A⇒B」と表します。この場合はAが「石を投げた」、Bが「窓ガラスが割れた」です。

さて、この因果関係ですが、原因と結果という言葉の意味を考えたとき、原因というのは「石を投げたから窓ガラスが割れた」けれど「石を投げなかったら窓ガラスは割れなかった」という風に、何かが起こったかどうか(石を投げたかどうか)によって結果(窓ガラスが割れるかどうか)が変わる場合に使う言葉です。
「石を投げても投げなくても窓ガラスが割れた」なら、「石を投げた」ことは「窓ガラスが割れた」ことの原因にはならない、ということです。

ということは、因果関係というのは「AならばB(これは①と同じでA⇒Bと表されます)」であり、
しかも③「AでないならBではない」でもなければならない、ということです。
この③は「¬A⇒¬B」と表されます。
つまり因果関係が成り立つということは、
①「AならばB」(A⇒B)
③「AでないならばBでない」(¬A⇒¬B)
を同時に満たさなければならないのですが、
最初に書いたように①のときは必ず②が成り立つので、実は
①「AならばB」(A⇒B)
②「BでないならばAでない」(¬B⇒¬A)
③「AでないならばBでない」(¬A⇒¬B)
を全て同時に満たしている、ということになります。

ここで③ですが、先に書いたように「XでなければYではない(¬X⇒¬Y)」のときは必ず「YならばXである(Y⇒X)」が成り立つはずですから、③が成り立つなら④「BならばAである」つまり「B⇒A」が成り立つ、ということです。
なんと、「AならばBである」という因果関係がある場合、
①「AならばB」(A⇒B)
②「BでないならばAでない」(¬B⇒¬A)
③「AでないならばBでない」(¬A⇒¬B)
④「BならばAである」(B⇒A)
が全て成り立つ、ということになります。

さあ、ここで「石を投げたから窓ガラスが割れた」という因果関係について考えてみましょう。
Aは「石を投げた」で、Bは「窓ガラスが割れた」です。
すると
①「石を投げたから窓ガラスが割れた」が成り立つとき
④「B⇒A」が成り立つのですから
「窓ガラスが割れたから石を投げた」が成り立つ、ということになるのではないでしょうか。

このように、どうやら因果関係というのは必ず逆転してしまうようなのです。
でも「石を投げたから窓ガラスが割れた」というなら分かりますが、「窓ガラスが割れたから石を投げた」というのは何か変な感じがしませんか?
「宿題をしないから叱られた」とき、「叱られたから宿題をしないんだ!」というのはやはり正しかったのでしょうか。


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