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今回は上の記事を元に振り返りながら補足をしている続きです
前回の記事はこちら
↓
父がくも膜下出血という病に倒れて2日
自分の都合で会社に迷惑も掛けたくないけど
ぶっちゃけ仕事どころでは無いメンタルなのは事実でした
それを察して虹心は私を休ませるために
私自身が出せなかったsosを代わりに出してくれたのかもしれません
私自身メンタルが崩れていたのが大きく関わって
引っ張られる様に私自身も戦力外
緑色の羊水らしきものが出た事におののき
眠れず
そしたらやんわり10分おきくらいにお腹が痛い・・・
心配だからと夜中病院へ連絡しひとまず翌朝入院できる準備を持って
自分自身で移動して来院(4月29日朝のこと)
こんな時も旦那に頼れない性分・・・頼ったらいいのにね
その後、リトマス紙のようなもので羊水検査をされたら
その場では破水してしまっているとの事で
定期通院していた病院では産まれてしまったら対応できないからと
総合病院へ救急車で搬送されることになったのです
私は呑気なもんで気持ちは確かで破水はしてるけど辛くはなかった為
救急車に乗ってしまってすみませんくらいな感じでした
乗ってきてしまった車を
しばらくの間、産む予定だった産婦人科に乗り捨ててしまう事の方が気がかりで
自分で移動したかったなー
ともやんわり思ったことを覚えています
総合病院に着いたら
転院先で腹部エコーをしたら腎臓が腫れている
と指摘され無駄にグリグリと詳しくエコーされていたけど
結構痛かったけど
いつぞやかの糖尿検査のように
やるだけやって結果大丈夫とのこと
なんそれ
なんだか分かんないけど好きなんですよね・・・
ZAZY・・・
正産期に入るまでは入院する事になりますねー
とお医者さんに言われた時もショックを受けました
そう、あの頃はいわゆるモーレツ社員だったので(古い)
とにかく会社に迷惑をかけたくないが優先度第一位でした
入院しても各方面に迷惑を掛けてしまっている事で頭がいっぱい
会社は何も助けてくれないぞって思っててもなかなか割り切れませんでした。
そうしたら今度は自ら産まれる準備を4月26日から始めたのでしょう
その結果が5月2日に繋がったのです
そう、虹心のお誕生日
当日、未明くらいからなんかお腹が痛くて
定期的にお腹が痛い
まぁでも人を呼ぶまでではないだろう・・・
(しかし、のちにあれが陣痛だという事に気づく)
朝の回診まで待とう・・・
その後回診で様子を話してバタバタとお腹に機械をつけて・・・
先生の診察を経て
気がついた時にはステロイド注射を打たれて分娩台に乗って産んでました
分娩所要時間:1時間51分
出血量:多量605ml
何も言われてないのですが
結果的に胎盤剥離気味だったんではないかな?と個人的推測です
出産て命懸けですよね、やっぱり
軽くみてはいけない
体調優先でお腹の子ファーストでいてほしい
出産は病気じゃないんだからと言ってくる輩がいたとしても
無視してほしい
私の経験からのアドヴァイスです
あの頃、関係者ゼロのぼっちで出産はまず考えられない時代でしたが
今ではぼっちで出産はコロナの影響で当たり前になってしまいましたね
何気に先端を走ってる私
あの時の私は一人で出産も悪くないと結果的に思いましたが
やっぱり出産は家族に付き添われて不安を安心に変えて臨んでもらいたいー
と個人的には思います
余談ですが
産科医療保障制度のサインをした時
漠然と保険金を貰うような気がしていました
出産前は5、6歳まで長ーく使えるベビーカーも探していました
出産後、友人に出産前に変な事言ってるなと思ったんだけど
ハンデのある子を産む予感でもしてたの?
と言われたくらいです
潜在的に感じ取っていたのかもしれませんね
産まれて2日目の娘です
この泣き声を聞いて父は目を覚ましましたわけです
私は、呑気に泣いただけで喜んでおりますあはは
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