月々日々に――池田先生の折々の言葉
2025年12月27日
胸襟を開いた対話は愉快である。
そして世代や地域を超えた交流は生命を豊かにし、
自身の境涯を拡大してくれるのだ。
※2016年12月27日付聖教新聞「随筆 永遠なれ創価の大城」を基にしています。
ハンガリーで人権教育ユースフォーラム
2025年12月27日
欧州評議会とOHCHR(国連人権高等弁務官事務所)が主催
SGIが後援、代表が出席
ワークショップの共催も
欧州評議会と国連人権高等弁務官事務所(OHCHR)が主催する人権教育ユースフォーラムが9日から11日(現地時間)にかけて、ハンガリーの首都ブダペストで開かれ、SGI(創価学会インタナショナル)の代表が出席した。
同フォーラムは人権や民主主義が脅かされる事態が世界各地で起きていることを踏まえ、人権教育の意義を改めて見つめ直し、今後の取り組みを検討するために開かれたもの。欧州青少年フォーラムとアムネスティ・インターナショナルが協力し、SGIなどが後援した。
フォーラムには国連や政府代表のほか、人権教育に携わる教育者、若者ら200人が参加。人権教育の実践例の報告や意見交換などが行われ、人権教育は“選択肢”ではなく民主主義の基盤であることが確認された。
11日にはSGIとアムネスティ・インターナショナルが共催し、「人権教育と若者のエンパワーメント(内発的な力の開花)」をテーマにワークショップを実施した。
冒頭、SGI国連事務所のエリザ・ガゾッティ氏らが、池田大作先生が提唱してきた①現状を知り、学ぶ②生き方を見直す③具体的な行動に踏み出すためのエンパワーメント、という三つの段階に基づく教育の在り方を紹介した。
次いで、両団体とOHCHRが共同制作したドキュメンタリー映像「チェンジメーカー――若き人権教育者のストーリー」で紹介されている人権課題に取り組む青年教育者5人が、それぞれの活動について語った。
同映像では人種差別撤廃やジェンダー平等、SOGI(性的指向・性自認)、子どもの権利、女性や障がい者の権利、性教育等について学ぶことができる。
続いて、若者を啓発する上で芸術が持つ力や、社会的に弱い立場に置かれた若者に人権教育を広げる方途などを巡り参加者が議論。人権について学ぶこと自体が人権を守る行動の一歩であり、人々のレジリエンス(困難を乗り越える力)を高めることにつながる点を確かめ合った。
また、10日には「世界人権デー」を記念して「世界人権宣言」の条文の朗読が行われ、SGIのガゾッティ氏が代表の一人として登壇した。
「SOKA PICKS」に動画を追加 創価グロリア吹奏楽団の演奏
2025年12月27日
学会公式サイト「SOKA PICKS」に、音楽隊・創価グロリア吹奏楽団と津軽三味線奏者の匹田大智氏が演奏する「津軽三味線協奏曲」の動画が追加された。
本年の第38回「定期演奏会」(東京・文京区の文京シビックホール)で披露されたもの。聴衆を引きつける迫力ある音色を届ける。
YouTubeでの視聴はこちらから
躍動の生命で明年へ!――各国で求道の集い〈SGI Weekly〉
2025年12月27日
世界各地での会合や取り組みを、電子版で紹介します。ここでは、ベネズエラ、ドミニカ共和国、エルサルバドル、アルゼンチン、ウルグアイ、パナマ、マカオ、ハンガリー、チェコの同志が行った会合の模様をお届けします。(この企画は原則、土曜日に電子版で配信します)
【ベネズエラ】師弟の誓いあふれる集い
【ドミニカ共和国、エルサルバドル】広布拡大の熱と力みなぎる行事
【アルゼンチン】情熱あふれる集い
【ウルグアイ】「11・18」記念する大会
【パナマ】生涯青春の友が集い
【マカオ】清新な誓いに満ちた総会
【ハンガリー、チェコ】平和へ幸福のスクラムを広げる同志
寸鉄
2025年12月27日
「仏になるみちは善知識にはすぎず」御書。
学会の組織は“幸福の安全地帯”
(新1940・全1468)
◇
「青春の夢に忠実であれ」詩人シラー。
誓い貫く人生こそ誉れ。
失敗を恐れず前進
◇
スマホなどが要因で近視の子が増加。
使用時間等、親子でルール決めて実践
◇
宗門との決別は祝福すべき進展―教授。
C作戦35年。
我らは世界に飛翔!
日蓮正宗問題研究1 – 法主の謀略『C作戦』
(1)『C作戦』とは何か
「C作戦」とは、正式には「創価学会分離作戦」といい、日顕法主を中心に宗門中枢で立案・検討された卑劣極まりない一大謀略である。「C作戦」のCとは「CUT(カット)」の頭文字であり、「創価学会をカット(切る)する作戦」の意である。
その目的は、在家信徒組織である創価学会を破壊し、寺院中心の教団、すなわち僧侶優位の体制を再編成することにあった。そして、日顕法主は創価学会員を完全な支配下に置き、僧侶中心の教団の頂点に君臨しようとしたのである。
その野望のために最大の障害となるのは、いうまでもなく池田名誉会長の存在であった。多くの信徒から尊敬され、また、世界中の要人や識者から信頼を得ている池田名誉会長は、本来なら、宗門にとって誇りとすべき信徒の代表であった。しかし、法の権威を拠り所に常に最高位として権勢を誇示したい日顕法主は、この偉大な信徒が逆に目障りとなり、あろうことか池田名誉会長に嫉妬の心を抱き、ついには『C作戦』実行の愚挙に出たのである。
人間教育の太陽を赫々と!
妙と申す事は開と云う事なり世間に財を積める蔵に鑰(かぎ)なければ開く事かたし開かざれば蔵の内の財を見ず
(法華経題目抄、943ページ)
〈通解〉
「妙」とは、「開く」ということである。
世間の例えで言えば、財宝を積んである蔵も、鍵がなければ開くことはできない。
開かなければ蔵の中の財宝を見ることはできないのである。
〈池田先生が贈る指針〉
どの子も最極の生命の宝を持っている。その宝を信じ開く教育の真髄を牧口先生は示された。
日々、後継の教育本部の友が、使命の現場で尊い実践を貫いてくれている。
多難な時代だからこそ、「子どもの幸福」を皆で祈り、一人一人を温かく励ますのだ。
人間教育の太陽を赫々と輝かせ、若き価値創造の生命を照らしゆこう!
法華経の智慧 より
遠藤: [人々のつながり」こそが、文字通り、「生命線」だということですね。
須田: それも「直接会う」ことが大事だと思います。ある調査では、「インターネットの利用時間が長くなればなるほど、憂鬱になったり、孤独感を覚えがちになる」という結果が出たそうです。
斉藤: インターネットと言えば、本来は、世界中と情報交換でき、コミュニケーションできることが“売りもの”のはずですが。
須田: ええ。アメリカでのこの調査も、その素晴らしさを証明するのが、目的だったようです。
遠藤: ところが、予想外の結果が出てしまった。
名誉会長: やはり、人間は人間に直接、会わなければ、生命の触発はない、ということだね。
斉藤: 学会の組織が、どれほどありがたいところか —- 。
名誉会長: 「孤独」になってはいけない。人を「孤独」にしてもいけない。悩みに寄りそって、その苦しい「心音」に耳を傾けてあげなければ。そうすることによって、じつは自分自身が癒されていくのです。
人を受け入れ、励ますことによって、自分の心が励まされ、開かれていくのです。
須田: たしかに、元気が出ないときでも、人を励ましているうちに、いつのまにか元気になっていることが、よくあります。
名誉会長: 自他不二(じたふに)だから —- 。
はじめ入信したころは、だれもが自分のことで精一杯であった。それは、ある意味で、観音にすがるような気持ちに通じるかもしれない。もちろん信じる対象が御本尊であることは根本的に違うが。
自分の「悩みの声を聞いてもらう」 —- そういう境涯だった。それが次第に、今度は自分が人の「悩みの声を聞いてあげる」境涯に変わっている。観音にすがっている姿から、自分が観音菩薩に変わってしまう(笑い)。
遠藤: すごいことです。
名誉会長: すごい妙法です。
■ 「苦悩」の泥沼から「仏界」の蓮華
名誉会長: なぜ、そうなるのか。
じつは、「幸福になりたい!」という切実な苦悩の声の中に、すでに「仏界」への芽ばえが含まれているのです。それを見抜くのが「観世音(かんぜのん)」の本義でもある。
日蓮大聖人は「観世音」について、「観とは円観なり世とは不思議なり音とは仏機なり」(御書p776)と仰せだ。「世」とは十界の衆生です。「諸法実相(しょほうじっそう)の観世音なれば地獄・餓鬼・畜生等の界界を不思議世界と知見するなり」(同)。
地獄の衆生のうめき声。その音声も「不思議世界」妙法の世界の音声です。十界互具だから、地獄は地獄そのままの姿で十界の当体であり、仏界の当体なのです。そう観るのが、観世音の「円観」です。「音とは諸法実相なれば衆生として実相の仏に非ずと云う事なし」(同)。
どんな人の、どんな悩みの音声であれ、「実相の仏」を、そこに観じなければならない。「諸法」という現実の泥沼の中からこそ、「実相」の美しき蓮華が咲くのです。すべての衆生が蓮華仏です。妙法蓮華経の当体です。そう観るのが「観世音」なのです。
遠藤: そう言えば、観世音の像は手に蓮華を持っていることが多いです。
名誉会長: 蓮華は「慈愛」の象徴とも言える。
観音品に「慈眼をもって衆生を視る」(法華経p636)とある。「慈眼」で視るとは、単なる憐れみではない。「この人がじつは仏なんだ。それを自分で知らないで苦しんでいるんだ」と観る目です
人はつねに苦しむ。「もう、だめだ」「おしまいだ」「自分は最低だ」「生きていても、しかたがない」 —- そう苦しんでいる。
苦しんでいるのは、幸福を求めているからです。「幸せに生きたい!」というのは万人の本源の叫びなのです。その声を無視したり、差別しては、何のための宗教か。
観世音とは、たとえば、商売が挫折しそうになって苦しんでいる時、救いを求める必死の「世音」に応えてくれる。助けてくれる。そうすることによって、より深い絶対的幸福 —- 仏界へと導き入れてくれる。そういう久遠の本仏の慈悲を表している。
斉藤: 商売繁盛を願う心を「卑近」だとか「現世利益」だとか見下さないのですね。
名誉会長: 見下さない。その「煩悩」を使って、仏界の「菩提」へと進ませる。向上へのエネルギーに変えていく。苦しい「煩悩」の必死の叫びの中にこそ、「菩提(ぼだい)」への芽があると、本質を「円観」していくのです。
斉藤: 観世音 —- 世音を「聴く」のではなく「観ずる」とされている意味が、よくわかりました。
遠藤: 耳で聴くだけでなく、生命全体の智慧で観ていくということですね。
名誉会長: 観音菩薩には「真の観・清浄の観 広大なる智慧の観 悲の観及び慈の観あり」(法華経 p635 、趣意)と説かれている。これらがあるから、どんな人の声も軽視しないで、真剣に受けとめるのです。
須田: その声に「仏機」 —- 仏になる機根を観ずるわけですね。〈「御義口伝」に「観とは円観なり世とは不思議なり音とは仏機なり」(御書 p776)と〉
■ 「責任」とは「応答」すること
名誉会長: ともあれ、「聞く」ことは難しい。虚心に「聞く」ことを知っている人は、それだけで賢者です。
「聖」という字も、耳をすませて宇宙の語る音声を聞くことを示している。そうできる徳を「聡」という。字に“耳”が入っている。「聞ける」人が聡明であるということです。
特に、リーダーは会員の皆さんの「声」に敏感に反応しなければならない。鈍感ではいけない。迅速に応じなければ。
[責任」を意味する英語の「レスポンシビリティ」は、「レスポンド」すなわち「応答する」に由来する。民衆の声に、大誠実で「応答」してこそ「責任」者なのです。
遠藤: その意味では、あまりにも「無責任」な政治家が多すぎます。
須田: “耳”が、もともと塞がっているとしか思えません。
名誉会長: だからこそ、民衆が大音声を上げなければならない。
本来、民衆の声ほど、強きものはない。民衆の叫びほど、正しいものはない。民衆の怒りほど、恐ろしきものはない。
観音菩薩は「三十三身」の身を自在に現すとされている。「梵王」「帝釈」の身にもなれば「小王」の身にもなると説く(法華経 p627)。
我ら民衆の声を聞き、声を観じ、観世音の慈愛をもった政治家が必ず出現するという依文です。また、そうさせていかねばならない。「民衆の叫び」が社会を揺り動かし、左右してこそ、「民主主義」なのです。
氷川きよしが「創価学会」布教VTRで堂々宣言 「これからも広布のために歌い続けます」…
池田大作氏作詞の歌をアカペラで熱唱
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マルドゥクらが使っていた、監視装置などの悪魔の道具を闇側以外に使えば、自分も悪魔になる
監視社会はディストピアである
プライバシー侵害は人権侵害である
その罪は重大である
そのような重犯罪者を人々が支持することは絶対にない
そのことを肝に銘じなければならない


