ミリオンケーの曲がり角のところで

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こんばんは。

 

7月の走行距離は83.4km。仕事やレポートに終わり1週間走れなかったのが痛かった。このままにしておくとしばらく書かなくなるので回想2019⑤(最終回)を書いてしまおう。

 

11月は福岡マラソン(11月10日)まで23㎞走りました。直前で10㎞を1時間5分ぐらいまで走れるようにはなりましたが、正直、ハーフまではいけるかなという感じでした。しかし、前日のEXPO会場での福岡トヨタのフィニッシュボードのタイムは4.30.00で写真を撮りました。

福岡は幼少の頃(幼稚園から小1、小4〜中2まで)住んでいたので、ここ福岡で復活後初のフルマラソンを走るのは自分にとって非常に大きいことだと感じていました。

当日は福岡出身のカズ山本(山本和範)の最後に在籍した近鉄バッファローズの背番号92番のユニフォームのレプリカを手に入れてそれを着て走りたかったのですが、手に入らなかったので三宮のバッファローズショップで近鉄時代の赤色に白字でOsakaのTシャツで走りました。

西鉄大橋駅の近くのホテルに宿泊してたので、天神まで電車で行き岩田屋新館のDブロックでスタートを待っていました。

この日は、異様に冷えて直前で手荷物預かり(昔は福岡スポーツセンターでスケートリンクがあった)の前の警固公園のところでトイレに行ったのですが尿意が近く、スタートして最初のトイレに入りました(金沢もそうだったので早朝スタートは苦手か?)。それでも10キロ地点はトイレロスを除けばキロ6分台でグロスで1時間11分07秒。

しかし、ここから九大の折り返しまでの上りで完全に足にきたのとTシャツが綿100%だったので異様に暑く、ペースが大幅ダウンで20キロ地点は2時間36分22秒で通過。

折り返して中間点までの下りもペースが上がらず、中間点を2時間45分37秒で通過。25キロ地点までは歩いているようなペースで走り、その後は以前のブログで書いたのですが30キロ地点まで歩きそこからゴールまでは制限時間いっぱいで走り切り6時間55分54秒(ネット6時間53分15秒)。

その晩は幼馴染み夫婦の家に泊めてもらい、翌朝新幹線で関西に帰りました。(完)


これが入院からフルマラソンまでの過程です。3年経過し、老化とリバウンドをどれだけ克服して走れるか。次は3年前と同じ9月の鳥取湖山池の10キロ。どれだけ走れるか不安でもあり、楽しみでもあります😅