こんばんは。
最近は伊坂幸太郎さんの小説が心のオアシスです。
『マリアビートル』を読み終えました。
殺人ばっかりだけど笑
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舞台は、東京発・盛岡行きの東北新幹線「はやて」。
そこに偶然乗り合わせた複数の人物たちの視点が交差し
まるでドミノのように、物語が転がっていく作品です。
コメディのようでいて、サスペンスでもあり
そして深く考えさせられる、不思議な読後感がありました。
印象に残った“てんとう虫”という男
やっぱり一番印象的だったのは、“とにかくツイていない男”、てんとう虫の存在。
彼は、次々とトラブルに巻き込まれながらも、
腐らず、投げやりにならず、なんとか前に進もうとします。
誰かを責めるでもなく、状況のせいにするでもなく
「なぜ自分ばかりこんな目に…」と戸惑いながら、それでも立ち上がる姿に
不運の中に光る、静かな強さを感じました。
運に恵まれなくても、自分の在り方だけは選べる。
てんとう虫は、そんなことを教えてくれた気がします。
「人を殺してはいけないのはなぜか?」という問い
物語を通じて繰り返し登場する問いがあります。
「人を殺してはいけないのは、なぜ?」
誰もが知っているルールだけど、いざ説明しようとすると難しい問い。
命が大事だから? 法律で禁止されているから?
でも、それって本当に理由になるの?と、登場人物が問いかけてきます。
特に印象に残ったのは、ある登場人物によるこんな回答。
「人を殺してはいけないのは、国家が困るからだ」
国家が困るから──という視点
倫理や道徳が、理想や感情だけでなく
“国家というシステムの維持”のために機能している側面がある──
という視点は、妙に現実味がありました。
もし「殺してもいい」となれば、社会は報復と無秩序に支配され、
国家の統治機能は崩壊します。
逆に言えば、国家が「殺してもいい」と認めた瞬間、戦争や虐殺が起こってしまう。
ルワンダやホロコーストといった歴史の惨事を思い出す中で
この“国家が困るから”という説明は、薄ら寒くもリアルに感じられました。
理屈じゃなく「感覚」としての倫理
最終的に、この物語が投げかけてきたものは
「人を殺してはいけない理由を説明できなくても、そう“感じる”ことこそが大切」
という問いかけだった気がします。
それは理屈で証明するものではなく、
人と人とが信頼して共に生きていくための“前提”として守られているもの。
その感覚があるからこそ、運が悪くても優しくなれるし、
理不尽な中でも、誰かの痛みに寄り添えるのかもしれません。
てんとう虫はバンバン人を殺してますけどね笑
伊坂幸太郎シリーズでオススメの本があればぜひ教えてください。
ありがとうございました。