こんばんは。


私が普通!あなたは変よ!変!

実母のこの口癖、昔からどうにも引っかかっていた。

最近、帰省する度にいまだに言われます。


そして最近、甥っ子がASD(自閉スペクトラム症)と診断され

来年から支援学校に通うことに決めたという知らせがありました。


なんとなくモヤモヤしていた

普通ってなんだろう?」という疑問が

ますますリアルなものになってきました。


そんな中、図書館で見つけたのがこの本。

兼本浩祐さんの『普通という異常 健康発達という病』です。

下矢印


専門用語、哲学、精神分析…脳がフリーズしかける


正直に言えば、読みやすい本ではなかったです。

精神科医の視点から、フロイトやラカンなどの哲学や精神分析がふんだんに登場します。


「なるほど…うん…えっと…」

何度も読み返したくなる文章ばかりで、理解したようでしていない、そんな状態のまま進むページも多かったです泣。


でも、ときどき出てくる著者の問いかけが

こちらの胸の内にスッと入り込んできて

読み続ける理由を与えてくれます。(エヴァンゲリオンやAKB とか出てくると特に。)


「発達=善」「普通=正しさ」への違和感


この本は、「発達して普通の大人になること」が本当に良いことなのか?

という前提を揺さぶってきます。


社会に適応し、空気を読み、礼儀をわきまえ、集団に馴染む。

それが「健全な発達」だとされています。


そうやって“正しく発達した子供や大人”が

いじめをしたり、パワハラ(過去の上司を思い浮かべながら笑)をしたり

「普通」の看板を掲げながら誰かを追い詰めている場面もあります。



本当に「普通」って正しいの?

むしろ、それこそが“異常”なんじゃないのか?


甥っ子を支援する言葉の裏に

どこか「普通に近づけよう」という願いが隠れていないか?

無意識に「正しさ」という枠を押しつけていないか?


そんな問いが、自分自身にも返ってきました。


「治す」より「共にいる」という視点


印象に残ったのは、

「発達を促す」とか「社会性を教える」以前に、

まずは“その子の世界に寄り添う”という姿勢。



たとえ社会に馴染まなくても、

言葉が出なくても、じっと目を見てくれなくても

それでもあなたと共にいます」というまなざしが

ほんとうの支援なのかもしれません。



読み終えて、素直に思ったこと


この本を手に取ったのは、「普通」に対する違和感からでした。

(今の私も社会の人々からみたら休職中の異常なサラリーマンですし。)



そして、読み終えた今、「普通であることの怖さ」も少しわかった気がします。


甥っ子を思う気持ちと

母との昔からのやり取りを思い出しながら

これからは「正しさ」より「在り方」を大切にしていきたいと思った。


たとえ“普通”じゃなくても

その人のペースや世界を尊重しながら

ゆるやかに、隣にいられる自分でいたい。



「普通」って、目には見えないけれど

時代によっても、人によっても、簡単に形を変えるもの。

そんな不確かなものに

自分の、あるいは誰かの大切な人生が苦しめられるなんて

そんなの、もったいないですよね。


あんまりうまく表現できませんでしたが普通と異常について考える良い機会になりました。


ここまで読んでいただき、ありがとうございました。