(続)日独伊三国同盟締結に際して、警鐘を鳴らした人 | キャリア・読書・人生の窓

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汝の一日、かくの如く終れば、汝の一生もまたかくの如し。
そうだ、今日考えたことを書き留めておくことにしよう。

### 前回のつづき ###

 

!?あのね、竹山道雄は評論家でありながら
『ビルマの竪琴』という文学作品を遺したんでしょう?

 


!!そうだ。
『ビルマの竪琴』は、竹山道雄が唯一執筆した
児童向けの作品なのだがこれが大人にも大きな感動
を与えた。
具体的には童話雑誌「赤とんぼ」に1947年3月から
1948年2月まで掲載された。
ビルマ(現在のミャンマー)を舞台としている。
この作品は、市川崑の監督によって、1956年と1985年に
2回映画化された。
各国語にも翻訳されている。

 


!?それでね。

わたし、疑問があるんだけれど・・・・


出家し僧になった主人公の水島上等兵が竪琴を
奏でる場面があるけど、ビルマの上座部仏教では、
出家者(僧侶)は、戒律により音楽演奏は
禁じられているんじゃないの?

 

 

!!へー。
よく知っているね。
そうなのだ。
著者はもしかして、そのことを充分承知の上で、
戒律を破った設定にしてあるかもしれないのだ。



!?それで、この小説のモデルはあるの?



!!著者は

「この物語は空想の産物でありモデルもないが
示唆になった話はある」と記していたが、

20数年後に武者一雄が著作した本が出版された

後に水島上等兵のモデルは、ビルマで終戦を

迎え、復員後僧侶になった群馬県利根郡昭和村

の雲昌寺前住職・中村(武者)一雄と言われるように

なった。

 

 

 

 

     合格



   <あらすじ>

 

1945年7月、ビルマ(現在のミャンマー)における

日本軍の戦況は悪化の一途をたどっていた。
物資や弾薬、食料は不足し、連合軍の猛攻になす術が
無かった。



そんな折、日本軍のある小隊では、音楽学校出身の
隊長が隊員に合唱を教え込んでいた。
隊員達は歌うことによって隊の規律を維持し、
辛い行軍の中も慰労し合い、さらなる団結力を高めて
いた。

 


彼ら隊員の中でも水島上等兵は特に楽才に優れ、
ビルマ伝統の竪琴「サウン・ガウ」の演奏がうまい。
部隊内でたびたび演奏を行い、隊員の人気の的
だった。
さらに水島はビルマ人の扮装もうまく、その姿で
斥候に出ては、状況を竪琴による音楽暗号で小隊に
知らせていた。



ある夜、小隊は宿営した村落で印英軍に包囲され、
敵を油断させるために『埴生の宿』を合唱しながら
戦闘準備を整える。
小隊が突撃しようとした刹那、敵が英語で
『埴生の宿』を歌い始めた。
両軍は戦わないまま相まみえ、小隊は敗戦の事実を
知らされる。



降伏した小隊はムドン(英語版)の捕虜収容所に
送られ、労働の日々を送る。
しかし、山奥の「三角山」と呼ばれる地方では降伏を
潔しとしない日本軍がいまだに戦闘を続けており、
彼らの全滅は時間の問題だった。
彼らを助けたい隊長はイギリス軍と交渉し、降伏説得
の使者として、竪琴を携えた水島が赴くことになる。
しかし、彼はそのまま消息を絶ってしまった。



収容所の鉄条網の中、隊員たちは水島の安否を
気遣っていた。
そんな彼らの前に、水島によく似た上座仏教の僧が
現れる。
彼は、肩に青いインコを留らせていた。
隊員は思わずその僧を呼び止めたが、僧は一言も
返さず、逃げるように歩み去る。

 

 

 

           (つづく)

 

 

             合格

 

 

 

           
(注)来歴等に関する出典はWikipedia他

 

 

 


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