山陰神道の表博耀さんは「クニトコタチを出す神事を行うと必ず地震が起こる」と。


土御門兼嗣さんは伏見稲荷大社の神様で一番大切になってくるのは「國常立尊」と。神社

そして古神道の教えとは「國常立尊の御遺言から始まった」と伝わるらしく、本当に存在した方なの〜と不思議な感覚に。びっくり

 

富士山の麓住民としては、富士古文献にも国常立尊が登場するのでどう書かれているかも気になりました。富士山

 

 

深草秦氏に伝わる國常立尊の御遺言とは、「国をどうやってまとめていったか」を後世に残すためのもの。

そこに歴代の大君たちが「自分たちがやってきた中でこれ良かったよ~」と書き加えていった内容が、古神道として伝わる中核となっているそうです。

 

なんだか御先祖さまからの愛情の籠った生き方のアドバイスのような。昇天

わたし自身も子育てにおいて自分の失敗や成功体験、祖父母からの教えなど話しています。

 

国をおさめる方々とはレべチと承知の上で、子供たちに伝える気持ちの根幹はきっと同じ。

「根本的な考え方、生活の知恵の集大成」だから古神道は宗教ではない、という意味もよく分かりました。


富士古文献の中に登場する国常立尊とは:

神農の五男、農立日子。その諡が国常立尊と。


 



神農の一番のお気に入り五男・農立(国常立)が蓬莱山を探しに派遣され、波

なかなか帰らない兄を心配した七男の農佐(国挟槌)が後を追ってきて、富士山周辺で兄弟涙の再会を果たす話が詳しく書かれています。(わたしのような歴史素人にも読みやすい)富士山


兄・国常立は西の阿和知島(あわじ)にとどまり国政を司り

弟・国挟槌は東


神々寄り合って国事などの相談をする時は、不二山高地火峰(富士山)を目印に集まる約束をして別れたそうな。


富士山は東なので、弟・国挟槌尊の方が詳しく書かれていましたが‥


国常立尊はやはり人として実在していた模様。

そして、西日本を司っていた。

深草秦氏の土御門さんのお話とも繋がる飛び出すハート


皇后の名前や子孫の名前、

大陸から龍船で渡り、上陸後はどんな道順で富士山まで来たか

何人で何日かけて来たか

相模や伊豆、駿河など地名はどのように付けられたか

など書かれており、他では聞けない昔話(大好きピンクハートのようでそれもまた面白いと思います。また時間を見つけて富士古文献版の話も紹介できたら〜と思いました。富士山