先日の記事に「侍」についての興奮メモをしましたが、中でも一番「ひゃー」となったのが↓
「侍」とは:
表向きは大きな神社の集団、神主、宮司という神社の官職にしか見えない
表向きは神社の集団
神主、宮司
うわぁ〜納得です〜
富士山の小室浅間神社の一族。
鎌倉時代には「南朝を陰ながらお護りした」と地元の古文献に伝わるからです。
それが宮司の宮下家の一族であり(途中から親族でもあった”三浦”に仮冒)
”偽書”と言われる富士古文献、いわゆる宮下文書
秦氏のトップ、土御門兼嗣さんも
「うち以外にもそういう集団があったと思います」
と、他家なのでサラリとだけおっしゃいました。
すると:
なぜ護良親王の御首級が唐突に富士吉田に?
どうして雛鶴姫が都留で亡くなった?
どこを目指していた?
それはおそらく単に、
口伝でのみ伝わる秦氏の歴史を少しだけ明かしてくださいましたが、(面白かった〜!!)
宮下家の貢献についても時代到来
富士吉田あたりの地域の方は自分たちは「隠す」人たちだとおっしゃっていましたが、きっと長らくそうして生きてきた土地。
歴史の本で敗者側であり、時代が時代なら命も危うい側です。
地域には「足利に憚り名を“浅間神社“とした」と残る神社もあります。
おそらく今ではだ〜れも自覚無いし
地域の歴史も興味無いし
ほとんどの人が「ふつうの田舎。」としか思ってないと思います。
富士山だけは格別に美しく鎮座しているけれど。
そうなると富士古文献にも登場する”出自謎の人物”についても色々と繋がってきそうな
新しい視点