去る6月にサロマ湖100kmウルトラマラソンに参戦してきた。

この記事を通して、何をトチ狂って参加を決めるにいたったかを振り返ってみる。


 

大学卒業して早くも6年もの月日が経とうとしている。

これは私の北海道移住生活の期間と一致する。

ゼロからニセコでの移住生活を始めたときは、次の冬を無事過ごせるか?もしくはいつまでこの土地で過ごしていくいのだろうかということすらも定まらないままで過ごしていた。

この土地で生きていくこと、そのものが私のとっての試練だった。

ひとつ、また一つ冬が過ぎていくにつれて生活も安定してきた。

狭い町だとは言え、知った顔、仲の良い人も多くできた。5度目の冬を越したあたりから、ニセコでまだしばらく生きていくのだろうと決めたつもりもないのに納得してしまっていた。


 

あれだけ厳しかった刺すような吹雪も凍てつく雪景色、厳冬期にさえ温かみを感じられていた。

ニセコに根を張ったただの草が少し成長できていたのだろうか。

草から幼木に、毎年来る冬を耐え凌ぐことにも慣れてきていた。

2017年夏の北海道に上陸してそのまま北海道で一冬越そうと思った。その頃は一冬無事越せるかも分からなかった。初めての冬のように、とりあえずやってみる。

決めたことなら、手段を問わずなりふり構わずやりぬくしかなかったあの「可能と不可能のギリギリの狭間を衝くような活力にかけてしまっていることに気が付いた。

 

コロナ禍がきっかけで高校卒業以来、6、7年ぶりにランニングを始めた。そして時が過ぎて2022年は積んできていた練習が少しずつ体に変化をもたらしていたタイミングでもあった。興味がオートバイから、身一つで長大で非現実的な距離を進んでいくウルトラマラソンに移っていた時期であった。

そんなさなかに4年ぶりにサロマ湖100㎞ウルトラマラソン開催の知らせが届いたことは渡りに船でしかなかった。

まだ雪も吹きすさぶ2023年の2月に、この100㎞のマラソンを10時間以内に完走しようと決めた。

「100km10時間以内」は「可能と不可能のギリギリの狭間」だと感じた。

何一つも根拠はなかったが、直感でコレだと感じた。

50km以上一度に走ったことも無ければフルマラソンの大会にも出場したことすらなかった。本能的には無理だ思ったが、10kmを1時間以内で進み続ければ可能だと思えば、理性的にはできなこともないと思えた。

 

一体、どうやれば100kmもの距離を10時間近く動き続けることができるんだ?と素直におもってしまった。

そもそも人間、100kmも走るように作られてないのでは?

しかし約3000人の出場枠はあっという間に埋まってしまっていた。それだけの数の人間が100kmマラソンに出たがっていて、その内どれだけの人が完走を確信しているのだろうか、はなはだ疑問で仕方なかった。

まさしく、無理そうでできそう、できそうで無理そうなこと。「可能と不可能の狭間」だった。



 

6月25日に間に合わせるために逆算してトレーニングの開始を早めることにした。

隔週で休日に30キロ以上、それ以外は特筆する練習もなく、インターバル走、時間を決めてのジョグ。オフの日は週に1,2日。

日の入りは早く、日の出はまだまだ遅い、3月スタート、例年よりも一カ月早い走り初めだった。

 

 

 

8/4追記

リンクは登山道の閉鎖情報。

熊の目撃情報、糞発見の報が相次いだため。

なにより僕自身が7/30にニセコ山系に入っていたばかりなので衝撃的だった。

僕が熊との遭遇した時は7/9だったが、同じ熊なのだろうか?

渡り熊が春先に出るとは聞いていたがこの時期に?

 

以下に続く熊出没からの逃走話し、地元のオヤジ達からは

「内地からきたやつが鹿と熊を見間違えた」だの

「証拠ないじゃん」だの、なんだの言われた。

見間違いでは?と問われて、そうかも、、、と思っていた自分もいたが、結局僕の話が、ニセコの山に熊がいるようになったと言う話しが、本当だったと証明された格好になった。

いや、山で過ごす時間が好きな身としては本当でない方が良かったのだが。

 

ともあれ、被害が出ておらず何より。

被害を未然に防ぐ為の登山道閉鎖の判断は適切だと思う。

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2021年7月末をもって、北海道に上陸してから丸4年が経った。

僕にとっては移住生活5年目に突入した。

いろいろ振り返るべきことはあるけれど、まず7月9日に森のくまさんと出会ったお話からしたい。

 

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(写真は4年前の三毛別羆事件復元現地のもの)

 

ニセコの山に足を運ぶようになって3年経つが、それよりも前からニセコには熊はいないと周りからは言われ続けていた。

全道を走り回った2017年でさえ、各所の山深い場所に足を踏み入れても一度も出会ったことは無かった。

ワイドショーやネットニュースで毎年山菜採りのご老人が熊に喰われただの、街に降りてきた熊が猟友会によって駆除されただの、そんな話は同じ北海道の中で起きているとはいえあくまでメディアに映るものでしか無かった。

つまり、みたこと無いから熊はニセコにはいないと完全に決めつけていた。4年間見たことないというのはこの結論に至るのに十分に長いと思う。

だが「北海道」を知るには4年はあまりにも短かったとその日僕は知ることとなった。

 

7月9日はなんてこと無い、仕事が午後から始まる日で午前中にランニングに出ていた。

ずっと舗装路ばかり走り続けていたので濃い緑と濡れた土の匂いが恋しくなり、その日は行ったこと無いトレッキングルートまで足を伸ばしたところだった。

 

場所は、倶知安のヒラフ地区にあるアルペンホテルの近くからニセコ町にあるヒルトンニセコの駐車場を結ぶトレッキングルート。

2本あるルートうち「春の滝ルート」と呼ばれるルート上で熊に遭遇した。

ヒルトンニセコの駐車場からスタートしてヒラフを目指し走り出していた。

 

トレイル自体は人の手がある程度入っていると分かるぐらい笹が刈り取られ倒木も処理されていたが人が通ればできるはずのわだちが全く無い、そんな様子だった。

細かいアップダウンが小気味良く続き、久しぶりに靴をぬらし膝をすりむくほどアクロバティックな走りができていたのですっかり夢中になっていた。

15分ほど進み、春の滝の手前に差し掛かったところで進路上3,40メートル先で笹の揺れる音が聞こえた。

こんな人気の無いところに反対側から人が?と不思議に思いつつ少し近づけば、笹が動いている、そして笹のから黒い頭が飛び出した。見間違えようも無い熊だった。

進路上の登り坂の上に姿を現し、僕が熊を見上げる格好となった。

そして熊と目が合った瞬間、いろんなことが頭を巡った。

とりあえず、熊を刺激せず逃げるしか無いと思った。

熊は笹から出てきてこちらに向かって来ているように見えた、あんまり衝撃的だったので熊の動向を詳しく思い出せない。

とりあえず僕は熊のほうを向いたまま後ろ向きで来た道を少し戻った。

浅い曲がり角に差し掛かって視線が切れたところで振り返って全力で来た道をヒルトンニセコ方面へ走った。

なにをどうすればいいのか分からないがとりあえず後ろから追いかけられているような気がしてならず、3回くらい「ウォァー!」とか「アァー!」とか出せる最大のボリュームで叫んだ。効果があったかどうかは不明。

そのままスタート地点にたどり着き事なきを得た。

当日の内に役場に連絡し、春の滝ルートは当面立ち入り禁止になった。

(7月31日現在解除済み)→2021年8月4日現在再び閉鎖確認

 

 

と、ここまでが僕の熊との人生初対峙のエピソード。

7月に札幌の東区で町中に熊が出て人にまで危害がおよんだことがあったのは、道民には記憶に新しいことと思う。

まるで棒きれを振り回すかのように人間がめちゃくちゃにされている動画を見て戦慄したのを思い出した。

僕が熊と対面したときも、

こんな人気の無いところで襲われたら誰も気づいてくれない、大けがしたら仕事どうなる、ここにくるとは誰にも言ってない、棒きれみたいにめちゃめちゃにされてしまう、などなど一気にいろんなことが頭の中を駆け巡り、一つの結論に至る。

逃げるしか無い。

無事に戻ってこれたから良かったが、何かが違えば熊を興奮させて襲われてかもしれないと思うと今でも背筋が凍る思いだ。

対処法については、間違いではない対処ができたのでは無いだろうか。

どうするのが正解だったか、アドバイスをいただきたいとも思う。

少なくともそのときは熊鈴すらも無く、丸腰で全く予防策をとってなかったことが最大の原因だったと思う。

 

 

グーグル検索では「ニセコ 熊」と検索すると「ニセコ 熊 いない」と候補にあがって来る。

10年、20年ニセコに住んで熊に会ったことがなければその結論に至るのも当然といえるのは理解できる。しかし僕の実体験として「ニセコ 熊 いる」のだ。

 

自然の中で遊ばせてもらっているということを痛感した。

この出来事以来、イタドリの茂みですらちょっとびびるようになってしまったけれど、熊鈴と爆竹をもって山に入るようなった。

僕がひとりびびり散らしてただけかも。

ひょっとしたら僕が落とした白い貝殻の小さなイヤリングを届けるために出てきてくれたのかもしれないしね。

 

最悪な形で移住5年目を迎えなくて良かった

スタコラサッサのサァーーあぁ~何事も無くて良かったァーーーーマジで

 

余談だが熊に会った同じ日に羊蹄山麓一体で突然停電が起きた。

仕事中だったのでこれにもまた困らされた。

後日ラジオが原因について変電所?に侵入した「蛇」が原因だったと伝えていた。

検査に入った職員が丸焦げになって死んでる蛇を施設内で見つけたそうな。

どうなってんのよ北海道。

この出来事に限らず、試される大地とはこういうことだ、と言わんばかりにこてんぱんにされた7月でした。

ひとつひとつのことにいちいち狼狽せずにいられるようになって来たけれど、

まだまだ精進せよとの思し召しだろうと考えてます。

定住五年目突入、生きて迎えられてよかった。

 

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ダニー

2021/07/31

 

 

 

 

 

 

 

新型コロナウイルスが世界をめちゃめちゃにし始めてから早くも一年が経つ。

北海道では2020の真冬から、日本全土でみればちょうど一年前ぐらいからだったと記憶している。

以来、毎日毎日コロナ関連の代わり映えの無いニュースが必ずと言っていいほどテレビでは流れている。

今を生きていくことはまるで五里霧中の山の中を進むようだ。

多くのイベントは中止、そして度重なる外出自粛要請。

僕自身の周りでは、リストラ、給料カットなどなど。

暗いお知らせには本当に事欠かない一年間だった。

それでも無情にも時間は過ぎていくのであって、その情報量の多さに365日間はまるで瞬きの隙に過ぎていった。

そして僕もまた歳をとり、時間の流れというものは加速していくばかりで見通しは良くないままだ。

特にこの冬はまるで長く、霧に包まれた長く怠い下り坂を転がるように過ごした。

下り坂という言葉はマイナスのイメージを含んでいる、しかし下り坂の持つ性質は決して悪いことばかりでは無いと思う。

 

  

 

バイクのコーナリングもスリリングで楽しかったのはやっぱ下り坂だったし、スノーボードという板きれ一枚に身を任せれば冬の下り坂はまるで天国だ。

下り坂の「下り方」を身につければいいだけのことだと思う。

いつか遠くない日。このままこの下り坂を抜けたこの谷のどん底で僕は、満面の笑顔で自分の下ってきたラインを振り返っていると思う。そしてこれか待ち受ける次の頂上を見つめてわくわくしているだろう。

 

辛いのはなにも下り坂ばかりではない。

息を切らしながらの上り坂もまた辛いものだ。

故にたどり着いた先のてっぺんからみる景色は格別に美しく見える。

 

 

僕たちの認知の外側で、いつの間にか上り坂に差し掛かっているかもしれない。

盛者必衰という言葉もあるとおり、散々世界を掻き乱している新型コロナウイルスもいつまでもこのままの勢いが続くわけではないと信じたい。

 

いつかこの世界、コロナにむしばまれた世界が新たな局面を迎えるその日まで。

僕はこの下り坂を楽しみつつなんとか生き延びて、新しい景色の為に上り坂を駆け上がっていきたい。

 

 

ダニー

2021/05/10