シネマスコーレの「花筐」公開記念イベントの大林宣彦監督短編上映会に行ってきました。
上映作品は「食べた人」「EMOTION=伝説の午後=いつか見たドラキュラ」で映画批評家樋口尚文さんの「大林宣彦はいつもぼくらのヌーヴェル・ヴァーグだった」と題した講演付きです。
樋口さんは40年前に大林監督と知り合い、「花筐」のパンフレットの監督対談もセッティングしたそうです。
大林監督は名刺の肩書きを映画作家としているそうでその理由は映画監督は撮影所育ちの人を指すからだと。当時、映画会社に入れる人は高学歴のエリートで大林監督には遠い存在だった。
それでも大林監督は医者の息子で、そんなボンボンだったからこそ、個人映画は作られていったそうです。
「食べた人」はアートとして作られ当時は画廊で上映され人気を集めていた。
60年代半ばには電通のクリエイティブ局の人が個人映画作家の大林監督を発掘し、CMの世界へ引き入れ、CM界自体が大林調になるくらい強烈なCM監督となる。
その傍ら「いつか見たドラキュラ」を製作。作品はいろんな大学の学園祭で上映された。
そして「HOUSE」で商業映画界に進出。
撮影所外の監督が東宝で映画を撮ることが大事件で、その道を拓いたのが反対者が多かった監督会をまとめた岡本喜八監督だったそうです。そして、脚本に衝撃を受けた松岡修造の父がプロデュースに名乗り出たと。
その背景には映画界が斜陽化していたことも。
樋口さんは「八甲田山」を観に行ったときに「HOUSE」の予告を観てどうしても観たくなったと。本編を観ていかに撮影されたかを知りたくて、大林家に電話。そしたら大林恭子さんに次の作品の現場に招待されたと。
現場は日活撮影所で作品は「瞳の中の訪問者」。
監督は1カット撮るごとに撮影の内容をレクチャーしてくれた。
しかし、この作品は批評家受けが悪かった。
樋口さんは大林監督にこの作品はクライマックスにヒョウタンツギを出すところに大林監督の有り様が出ていると手紙を書いた。その内容が批評家の論争に持ち出されびっくりしたと。
後に原作の手塚治虫の息子でビジュアリストの手塚真に話を聞いたら、父に映画の話を聞いたときには「HOUSE」の大林監督ときいてぎょっとしたけど、「金田一耕介の冒険」は気に入ったと。
樋口さんは映画監督を志していたけど、大林監督のすすめで電通に入ることに。
クリエイティブ局に入り、大林監督とCM作りへ。
やった企画は黒澤明の「夢」で映画化されなかったエピソードのアニメ化。なんと制作費1億円。
10年ほど前にも「第一生命でナイト」のタッキー編を製作。
最新作「花筐」は樋口さんの故郷の唐津が舞台。でも地元民には少しも唐津らしさがないそうです。
その理由はほぼグリーンバックで撮影して合成した画面だから。それは映画作家たる所以でもあると。
トークショーは1時間くらいでしたが初期の大林監督のすごさをリアルに知ることが出来て勉強になりました。