
昔、1991年に初公開したときからずっと観たいと思いながら今まで観る機会がなかった作品です。
何で今、再上映をしているのかと思ったら監督が今年の春に他界していました。
ちなみに1966年に製作されたチェコ映画です。
いきなり爆撃の空撮の記録映像となんかの鉄のクランク(フライホイールというらしい)がカットバックして始まります。
続いて水着姿の二人の女の子がけだるそうにどんどん悪くなっていくとボヤいています。
二人はいろんな果実のなる木の実をかじり、おっさんに食事を奢らせたり、タップダンサーのショーを邪魔したり、蝶のコレクターを誘惑したりしながら、パーティー会場さながらの料理がいっぱいある会場で飲み食いして破壊の限りを尽くすが…
最後にあるメッセージが出ます。
また実録映像も出ます。
チラシや予告からはかわいい二人の女の子がきゃりーぱみゅぱみゅのような奇抜なスタイルで暴走するガーリーな映画のようですがこれは明らかに当時の社会を風刺した政治的な意図のある作品です。
この頃のチェコの人々は共産主義に嫌気がさしていて、作家たちも党批判をするようになっていました。その運動が実を結び、1968年の春には改革派が政治の中枢を占めるようになります。
これが世にいうプラハの春です。
しかし、その夏にはチェコの革命を阻止するべくソ連が侵攻してきます。
そして、ソ連の言うなりの傀儡政権が誕生します。
これがチェコ事件です。
この新政権によりこの「ひなぎく」のヴェラ・ヒティロヴァ監督は7年間、活動停止に追い込まれます。
ちなみに「カッコーの巣の上で」や「アマデウス」のミロシュ・フォアマン監督もチェコの監督でしたが、チェコ事件をきっかけにアメリカに渡りました。
若い女子のカワイイ暴走の映画を作った監督がなぜ国家に睨まれたのか?
それは監督が「ひなぎく」でガーリーと実験的映像で武装し自由主義社会への改革を訴えていたからです。
そんな作品がなぜか日本の渋谷系的おしゃれ映画の典型みたいに持ち上げられ本質から切り離されて伝説の作品みたいになっていたことにびっくりしました。
この映画が今も見る人を魅了し強い印象を与えるのは当時の監督の変革への想いの強さが生きているから。
映画でも音楽でも絵画でも芸術作品はその作品から感じるものこそ真実で、その受け取り方を制限されるものでもないですけど、作品から受けた違和感を元にちょっと調べれば製作者の意図はより深く理解出来るし知った方が面白いと思う。
カワイイとハイセンスで世の中を変えようとしたこの映画はこれから先もずっと愛されるガーリーの金字塔であり続けることでしょう。