アイルトン・セナ没後30年 | 梓慕情の眼仁奈釣り日記、お散歩日記

梓慕情の眼仁奈釣り日記、お散歩日記

伊豆半島の沖磯で眼仁奈釣りをしてます。
城、神社仏閣、史跡名勝巡りしてます。

世界中が泣いた悲劇の事故から30年。

今も絶大な人気がある、音速の貴公子と呼ばれたアイルトン・セナ。


タンブレロの悲劇









新聞の週刊誌広告に、アイルトン・セナ没後30年カラー保存の見出しがあったので買いました。

日本人初のF1フル参戦ドライバーの中嶋悟氏の同僚が、アイルトン・セナ。
ロータス・ホンダ、車体はキャメルイエロー。

中嶋悟氏のコメント
セナ存命なら64歳、今頃あいつは何をやっていたかな。

トールマン→ロータス→マクラーレン→ウィリアムズに在籍。
最終的にフェラーリに移籍して引退だったと思います。
引退後は、Teams・SENNAを立ち上げたと思います。
もちろんエンジンはホンダ。
チームカラーは、トリコロールカラー。
ドライバーは、ブラジル人と日本人。
見たかったなぁ…


1994・5・1 衝撃的なニュースが…
F-1世界選手権第3戦サンマリノグランプリでの、アイルトン・セナのクラッシュ。
決勝レースを見ようと、スポーツ番組から見てると生中継で放送。
暫くして、決勝録画放送に切り替わりました。
放送を見てると、ニュース速報が…



音速の貴公子イモラに散る

録画放送が中断して、イモラから再び生中継になり、実況・解説・ピットリポートがセナの死を伝えました。
翌日から、民放などでセナ追悼特集が流れました。
スポーツ新聞全紙を買ったり、民放の特集を録画をしました。

*サンマリノGPは、予選初日にルーベンス・バリチェロがシケインで縁石に乗り上げ空中に舞い上がったマシンがタイヤバリアとフェンスに激突。鼻骨折の重症。

予選2日は、ローランド・ラッツェンバーガーが、トサコーナー手前のコーナーを曲がりきれずコンクリートウォールに激突。頭蓋骨折で死亡。

決勝、アイルトン・セナがタンブレロでコースアウトしてウォールに激突。折れたサスペンションがヘルメットを貫通。

ヘリコプターからの上空映像には、セナの頭がガクッと下がる衝撃なシーンが…





アイルトン・セナ・ダ・シルバ
1960・3・21ー1994・5・1
F1世界選手権1988・1990・1991ワールドチャンピオン。
優勝41回
PP65回
FL19回
1984年、トールマンからF1デビュー。南アフリカGPで初入賞。
1985年、ロータスに移籍。ポルトガルGPで初PP獲得、初優勝。
1987年、ロータスはホンダエンジン獲得。
チームメイトに中嶋悟。
1988年、マクラーレンに移籍。ホンダエンジン獲得。アラン・プロストとコンビを組んだ。

赤白のマールボロカラー
マクラーレン・ホンダ
セナ・プロ
16戦中15勝、セナ8勝、プロスト7勝
初のワールドチャンピオン獲得
黄金時代を築き上げる

1989年、日本GPでプロストとシケインで接触。
1990年、日本GPでフェラーリに移籍したプロストと第1コーナーで接触。
1991年、ブラジルGPで母国初優勝。
1992年、モナコGP通算4連勝。マンセルとのラスト数周の大バトル。
セナの真後ろに、マンセルがプレッシャーをかけている。
ここはモナコ モンテカルロ 絶対に抜けない
マンセルの猛追を交わしての優勝。
ホンダF1活動休止発表。
1993年、ヨーロッパGPで鬼神の走りを見せ優勝。雨のオープニングラップでアウトから抜き去るシーン。
日本GPで優勝。
1994年、ウィリアムズに移籍。



1993年、日本GP鈴鹿に初めて観戦。セナの優勝を見ました。
1994年4月、パシフィックGP英田で観戦。セナ追突されリタイアを目の前で目撃。

同年8月、東京ベイNKホールでアイルトン・セナ追悼コンサートに行きました。
同年10月、セナのいない日本GP鈴鹿観戦。雨の中、チームメイトのデーモン・ヒルがセナに捧げる勝利。

*セナファンなので、NACIONALキャップ・赤のマールボロブルゾン(セナ仕様)を着て観戦しました。

セナ=マクラーレン・ホンダは最強だった❗


1987年から1990年代前半、ネルソン・ピケ、ナイジェル・マンセル、アラン・プロスト、アイルトン・セナの四天王時代が面白かった。